ジェイミー・バーンスタイン、生誕100年に際して、父のこと、レコーディングのことを語る
父の録音は、クラシック音楽の百科事典です
ジェイミー・バーンスタイン
Jamie Bernstein Photo: Steve Sherman
◎レコーディング・セッションでのバーンスタイン
12歳の夏に父の自作「チチェスター詩編」の録音セッションを覗きました。おそらく学校も夏休みで、父が「いらっしゃい」と誘ってくれたのでしょう。父はよくリハーサルやツアーに連れて行ってくれました。とても興味深い経験でしたね。父が実際に毎日何をやっていたのか、それを目の当たりにすることが出来ましたから。
1965年7月26日、「チチェスター詩編」の録音セッションにて
父はニューヨーク・フィルと録音することが大好きでした。録音は、一回限りで消えてしまう「演奏(パフォーマンス)」を形として残しておくことができる魔法のようなものです。父はコロンビア・レコードがこれらの膨大かつ多彩なレパートリーをニューヨーク・フィルと録音する機会を与えてくれたことをとても感謝していました。今となっては、父とニューヨーク・フィルとの録音はまさにクラシック音楽の百科事典、素晴らしい音楽の資料とでもいうべきものです。図書館や学校に置いてあってもおかしくないほどです。
◎常に100%没入が仕事の流儀
父は自分の仕事を愛していました。自分の仕事が大好きだった、幸運な人間の一人でした。だから仕事をするときには、それがどの過程であれ、スコアの勉強であれ、リハーサルであれ、完全にそこに集中し、没頭していました。そして演奏会でも、演奏そのものに100%没入していました。録音の時もそうでした。とにかくものすごい集中力がありました。そしてそうした父の仕事のいくつもの側面をとても楽しんでいました。
時間を捻出することにかけては、父は天才でした。まず信じがたいほどのエネルギーを持っていた。そして凄まじい集中力も。まるでレーザー光線を1点に照射するようなものでした。どれだけ疲れていても(不眠症だった父は実際いつも疲れていました)、自分を動かすエンジンを切ることはできませんでした。何をやっていても、自分の持てるエネルギー全てをそれに注ぎ込んでいました。
◎レコード録音にとって幸福な時代
この時代、父のレコードは、今では考えられないようなスピードで録音されていましたが、これは指揮者とオーケストラとの間に深い信頼がなければ、またオーケストラが機能的でなければ実現できなかったでしょうね。もちろん録音の前に定期演奏会で同じ曲を弾きこんで、録音の時点では父もオーケストラの楽員も作品に親しみ十分な準備ができていました。とても効率的なやり方でした。マーラーの交響曲第3番のような大曲でさえ、最小限のテイクで、1日ですませることもできたのです。
父は、自宅のスタジオでコロンビア・レコードから送られてきたテスト盤を聴くのです。それでもし気に入らないところがあると、再度リミックスしてもらったり、レベルを変えたりして編集しなおしてもらうわけです。試聴して、気になるところを書き出して、それをコロンビアにフィードバックするのです。コロンビアからはジャケット・デザインも送られてきましたよ。ある時、山の風景を描いたジャケットで、父の顔がその山になっていたものが送られてきました。父は、あまりに馬鹿げたカバーだ、と言って、変更してもらいました。そこでコロンビアは父の顔をストラヴィンスキーの顔にしたわけです。あの「春の祭典」(再録音)のジャケットですよ。
現在の音楽業界は、当時とはずいぶん異なっています。録音する資金が昔ほど潤沢にはないですよね。その意味で、父、ニューヨーク・フィル、コロンビア・レコードの三者が最良の時期にパートナーシップをくむことになったわけです。当時のコロンビア・レコードの社長、ゴッダード・リーバーソンが父にこれだけの録音をするように勧めたわけですが、それを賄うだけの資力があったのです。そのころはレコードもよく売れたので、これは理想的なビジネス・モデルでした。今ではそうはいかなくなりましたね。
バーンスタイン・ファミリー。右から次女ニーナ、長女ジェイミー、レナード、フェリシア夫人、長男アレクサンダー
◎娘が教えたビートルズの魅力
父は自分のレコードを全てスタジオに保管していました。しかし楽しみのためにレコードをかけることはありませんでしたね。父は、私たちがレコードを聴いて楽しむようには、レコードを聴くことはありませんでした。父にとってはレコード聴くことは仕事であり、テスト盤を聴いたらそれで終わり。他のレコードを聴く機会があったとしたら、それは私がビートルズのアルバムを持ち込む時くらいじゃなかったでしょうか。「ビートルズの新しいアルバムが出たよ、『ラバー・ソウル』だって!」ってね。父は、「じゃあ聴こうよ!」といって、レコードをプレイヤーにかけて、一緒に聴きました。
ポップ・ミュージックは車の中でラジオで聴くことが多かったですね。そうやっていろんな音楽を吸収していました。私が持ち込むビートルズのアルバムもそうでした。ポップ・ミュージックの動向にも詳しくなったわけです。ビートルズ、ローリング・ストーン、サイモン&ガーファンクル、もうちょっと後だとマイケル・ジャクソンなど、気に入っているものも多かったです。モータウンは大好きでした。私たちと一緒に聴いたポップ・ミュージックが、たとえば「ヤング・ピープルズ・コンサート」でそうした音楽を取り上げる際に糧となっていたのです。私たちが手助けしたようなものですね(笑)。
◎温かみのあるアナログ・サウンド
コロンビアの録音は、デジタルではなくアナログ時代でしたから、今聴くとサウンドに温かみがあります。私が特に好きなのを挙げると、ベートーヴェンのピアノ協奏曲第1番、2種類あるストラヴィンスキー「春の祭典」、それにコープランドのアルバムでしょうか。父はコープランド作品の最上の解釈者でした。お互いのことを完璧に理解し合っていましたからね。「ロデオ」、「ビリー・ザ・キッド」などのバレエ音楽、交響曲第3番も最高の演奏ですね。ガーシュウィンも同様です。「パリのアメリカ人」の録音は本当に素晴らしい。マーラーの録音については言うまでもないでしょう。ヴェルディの「レクイエム」も忘れられません。もし私が何か望むものがあるとすれば、ショスタコーヴィチの作品をもう少し録音してほしかったでしょうか。(談)
[2018年7月、札幌のパシフィック・ミュージック・フェスティバルにて/取材協力:パシフィック・ミュージック・フェスティバル組織委員会、株式会社クリスタル・アーツ]
作家、ナレーター、放送作家のジェイミー・バーンスタインは、1952年生まれのレナード・バーンスタインの長女。2018年、父に関する思い出をつづった『Famous Father Girl-A memoire of Growing Up Bernstein』(Harper Collins)を出版。
https://www.amazon.co.jp/Famous-Father-Girl-Growing-Bernstein/dp/0062641352/ref=sr_1_1?ie=UTF8&qid=1534986284&sr=8-1&keywords=jamie+bernstein