レナード・バーンスタイン
レナード・バーンスタイン年表 1918年 8月25日 アメリカ合衆国マサチューセッツ州ローレンスに生まれる。
1928年 初めてピアノ・レッスンを受ける。ボストン・ラテン・スクール入学。
1931年 ニュー・イングランド音楽院でピアノを学ぶ。
1939年 ハーバード大学卒業。続いてカーティス音楽院で、ピアノ、指揮、作曲を学ぶ。
1940年 タングルウッド音楽祭でセルゲイ・クーセヴィツキーに師事。
1943年 ニューヨーク・フィルの副指揮者に任命される。
11月14日 ブルーノ・ワルターの代役でニューヨーク・フィルを指揮。(シューマン「マンフレッド」序曲、R.シュトラウス「ドン・キホーテ」他)。
1944年 自作の交響曲第1番「エレミア」、バレエ「ファンシー・フリー」、ミュージカル「オン・ザ・タウン」初演。
1945年 ニューヨーク・シティ交響楽団の音楽監督に就任。
1946年 プラハの国際音楽祭でチェコ・フィルを指揮してヨーロッパ・デビュー。
1947年 パレスチナ・フィル(現イスラエル・フィル)を初めて指揮。
1949年 クーセヴィツキー指揮で交響曲第2番「不安の時代」初演(バーンスタインはピアノ・ソロを担う)。
1950年 ニューヨーク・フィルとの初録音(交響曲第2番「不安の時代」)。
1951年 チリ出身の女優、フェリシア・モンテアレグレと結婚。
1952年 ブランディス大学で歌劇「タヒチの騒動」を指揮して初演。
1953年 ミュージカル「ワンダフル・タウン」初演。アメリカ出身の指揮者として初めてミラノ・スカラ座に登場、マリア・カラス主演のケルビーニ「メデア」を指揮。
1954年 音楽を担当したマーロン・ブランド主演の映画「波止場」公開。CBSテレビで「オムニバス」の放映を開始。
1956年 「キャンディード」初演。
1957年 「ウエスト・サイド・ストーリー」初演。 ミトロプーロスとともにニューヨーク・フィルの共同首席指揮者に就任。
1958年 1月 「音楽って何?」で「ヤング・ピープルズ・コンサート」のテレビ中継を開始。ニューヨーク・フィル音楽監督に就任、10月2日 音楽監督としての最初のコンサート
(アイヴズの交響曲第2番、ベートーヴェンの交響曲第7番)。
1959年 ニューヨーク・フィルとヨーロッパおよびソ連へ演奏旅行。
1960年 マーラーの生誕100年に際し、マーラー・フェスティヴァルを開催。
1961年 ケネディ大統領の就任式で「ファンファーレ」初演。
1962年 リンカーン・センター内フィルハーモニック・ホールのこけら落とし公演で、コープランド「コノテーションズ」初演。
1963年 テル・アヴィヴで交響曲第3番「カディッシュ」世界初演を指揮。
1964年 ヴェルディ「ファルスタッフ」でメト・デビュー。 1964/65年シーズンは休暇をとる。
1965年 「チチェスター詩編」初演。
1966年 「ファルスタッフ」でウィーン国立歌劇場デビュー。
1968年 ウィーン国立歌劇場で「ばらの騎士」指揮。ロバート・ケネディの追悼式でマーラーの交響曲第5番から「アダージェット」を指揮。
1969年 5月17日 マーラーの交響曲第3番の指揮を最後に、ニューヨーク・フィル音楽監督を退任、桂冠指揮者となる。
1970年 メトで「カヴァレリア・ルスティカーナ」指揮。アン・デア・ウィーン劇場で、ベートーヴェン生誕200年を記念して「フィデリオ」上演。
1971年 ワシントンのケネディ・センターのオープニングで「ミサ曲」世界初演。
1972年 ビゼー「カルメン」をメトで指揮、同曲をドイツ・グラモフォンへ初録音。
1973年 ハーバード大学での「エリオット・ノートン講座」第1回。
1976年 「ペンシルヴァニア・アヴェニュー1600番地」初演、7日で打ち切り、失敗に終わる。
1977年 カーター大統領の就任式で「ソングフェスト」を指揮して初演。
1978年 妻フェリシアが癌で亡くなる。
1979年 ベルリン・フィルを初めて指揮、マーラーの交響曲第9番を演奏。
1983年 歌劇「静かな場所」、ヒューストン歌劇場で初演(ジョン・ド・メイン指揮)。
1984年 「ウエスト・サイド・ストーリー」をドイツ・グラモフォンに録音。
1985年 原爆投下40周年に際して、ECユース管とヨーロッパと広島へ「平和の旅」。
1988年 タングルウッド音楽祭で70歳記念祝賀コンサート。
1989年 ベルリンの壁崩壊を祝い、ベートーヴェン「第9」を指揮。
1990年 札幌にパシフィック・ミュージック・フェスティバル(PMF)創設、同フェスティヴァル管とロンドン響を指揮。
8月19日 タングルウッド音楽祭で生涯最後の指揮。
10月9日 指揮者引退を宣言。
10月14日 ニューヨークの自宅で亡くなる。