システム・オブ・ア・ダウン

サージ・タンキアン(Vo,Key,Samples)

ダロン・マラキアン(g,back Vo)

シェイヴォー・オダジアン(b)

ジョン・ドルマニアン(ds)



作曲はギターのダロン、作詞はヴォーカルのサージがほとんどを手がけている。



システム・オブ・ア・ダウンの歴史:



*南カリフォルニア出身4人組(アルメニア・コミュニティー出身)

*デビュー前からロスでライヴ・パフォーマンスが絶賛され、デビュー前の3曲入りデモ・カセットは口コミで30,000本が売り切れる。

*ロサンゼルスのTHE WHISKEYで撮影された「WAR?」のライヴ・ビデオが圧倒的な支持を受け、アメリカン・レーベルと契約。

*ファースト・アルバムは全世界で約100万枚の売り上げを果たした。

*99年4月には来日公演(東京、大阪)。大成功に終わった。



システム・オブ・ア・ダウンの戦い



システム・オブ・ア・ダウンのメンバーは全員アルメニア系アメリカ人である。そしてアルメニアの悲劇(*)をアメリカ政府に認めさせる運動をデビュー当時から続けてきた。彼等はアルメニア問題だけではなく、世界中の貧困や差別問題に対して世論の目を向けさせようとしている。(詳しくはhttp://www.systemofadown.comまで)



(*)テュルク政府(現トルコ政府)によるアルメニア人ジェノサイド(1915−1923年)

オスマン「主義」から「テュルク化政策」に転じた“青年テュルク”党。第一次世界大戦時を利用してテュルク三頭政府により計画的・組織的に行われた「アルメニア人ジェノサイド」 Genocide(計画的大量虐殺)の実態。惨劇の地域で,ミッション・スクール,附属病院等に勤務していた欧米人は懸命の抗議・抵抗,救出に励んだ。駐土・ドイツ人将校で作家のウェグネル Wegnerは,ジェノサイドの現場写真を公表。

今日,テュルク政府は「ジェノサイド」を認めず,そう教育している(虐殺現地のテュルクお年寄りや自由に研究できる在米テュルク学者は認めているのだが)。最近は,諸国,諸市議会が「人権決議」でアルメニア人「ジェノサイド」に言及するのをことごとく威しで妨害中。

1939年ヒトラーは,ポーランド侵攻を前に「アルメニア人根絶のことを,誰がいま口にしようか」とポーランド人に対する無慈悲な虐殺行動発動にむけ檄を飛ばしている。今世紀最初のジェノサイドでアルメニア人150万が大量虐殺された。