アルトゥーロ・ベネデッティ・ミケランジェリ
1920年1月5日、北イタリアのブレシア生まれ。3歳でピアノを習い始め、ついで地元の音楽院に入り、10歳の時にさらにミラノのヴェルディ音楽院で学ぶ。
その後医学の道に進んだが、1939年に、第1回ジュネーヴ国際コンクールで優勝し、ピアニストとして、またボローニャ音楽院の教授として活躍をはじめた。
第2次大戦が勃発すると空軍飛行士として参戦し、ドイツ軍の捕虜となったが、脱走してファシストに対するレジスタンスの運動に加わった。
戦後ふたたび演奏の世界に戻り、1946年にロンドンでデビューして、センセーショナルな評判を呼び、またたくまに名声を確立した。
しかし、その後は病気や潔癖さのために演奏会をキャンセルすることが多くなり、彼の腕前にじかに接することができるのは幸運と言われるほどになる。それがまた評判を呼ぶという状況で、残された録音も多くない。
1965年に初来日し、その後4回にわたって日本を訪れた。1972年以降はスイスのルガーノに住む。
1995年6月12日、心臓病のためスイスで他界。