マット・カーニー
ジョン・メイヤー擁する、*Aware Records(アウェア・レコーズ)が送り出す逸材、マット・カーニー。

 アメリカ、オレゴン州西部出身のシンガー・ソング・ライター。彼の音楽キャリアはカリフォルニア州チコ大学から始まった。大学で文学を専攻し、サッカーチームに所属していた大学生の夏の間、友達でプロデューサーのロバート・マーヴィンとナッシュヴィルへ行き、寛ぎながら数曲の曲を作っていた。そんな時、レコード契約のオファーがいくつかくるようになった彼は、真剣に音楽を追求するためそこナッシュビルに居続ける決心をする。彼の作る音楽はレコード会社の好奇心をそそり、遂にアウェア/コロンビアレコードと契約に至った。

 そして’04年デビュー・アルバム『ブレット』を、’06年には2ndアルバム『ナッシング・レフト・トゥ・ルーズ』を発売。レーベルのサポートの元、ここからマラソン級のツアーがスタート、ツアーが進むにつれ草の根レベルでの支持者が増加していった。

 ’07年春には、VH1が45週連続(1年は52週)で〈ナッシング・レフト・トゥ・ルーズ〉をオンエアし続け、その後同局が主催する第1回ユー・オータ・ノウ・ツアーのヘッドライナーに起用されると、一気に世間への認知度を拡め批評家から賞賛を受けるまでになった。遂に3年後、マディソン・スクエア・ガーデンで公演を成功させると、「ザ・レイト・ショー・ウィズ・デヴィッド・レターマン」に出演、〈ナッシング・レフト・トゥ・ルーズ〉〈アンデナイアブル〉〈ブリーズ・イン・ブリーズ・アウト〉はいずれもトップ40入りを果たした。また、ジョン・メイヤー、シェリル・クロウ、ザ・フレイ、ジェイソン・ムラーズ、トレインらとツアーを行うなどアーティストとしても一流のラインナップに並ぶようになった。

 彼の曲は、「Laguna Beach」,「The Hills」, 「Bones」「South Beach」, 「One Tree Hill」, 「Scrubs」, 「The Closer」他全米で人気の数多くのTV番組で使用され、中でも最も人気のあるTVドラマ「グレイズ・アナトミー」ではシーズン毎に各曲が挿入歌になるなどその人気を確立、アルバムはロングラン・ヒットを続けている。


 * Aware Records:アウェアは創立以来、“地に着いた足”として新しい音楽を一般に紹介する独立系代表者た  ちの強力な草の根ネットワークを頼りにしてきた。アウェア・レプスと呼ばれる彼らは現在900人を数え、草の  根マーケティングネットワークとしては全米でも有数の成功を収めている。ジョン・メイヤー、ファイヴ・フォー・フ  ァイティングなどが所属している。http://www.awarerecords.com/



新作『シティ・オブ・ブラック&ホワイト』

 マット・カーニーが2006年に発表したアルバム「ナッシング・レフト・トゥ・ルーズ」に収録したような、小粋でキャッチーなタイプの曲を録音すると、ツアーに多くの時間を費やすことになる。そしてその後、アルバムのタイトル曲がチャートを急上昇する。つまり、カーニーが経験したことそのものである。3年後、彼は「シティ・オブ・ブラック&ホワイト」を引っさげて戻ってきた。オレゴン州生まれで現在はナッシュヴィルを拠点とするシンガーの彼が、ブレイク作となった前作を売りこむための行脚、演奏、冒険を通じてインスピレーションを得たアルバムである。自己発見を率直に描いた「シティ・オブ・ブラック&ホワイト」は、その旅路の間に彼が出逢った人々や、会うことのできなかった人々についての物語である。音楽的にもすべてを出し切った本作は、フックやリズムが静かにいち早く聞き手に忍び寄り、瞬く間に虜にしてしまう。
 「ナッシング・レフト・トゥ・ルーズ」でマラソン級のツアーに送り出されたカーニーは、自らヘッドライナーを務めるツアーの合間にジョン・メイヤー、シェリル・クロウ、ザ・フレイなどとツアーをまわり、この8年間拠点としているナッシュヴィルに晴れやかに凱旋した。そして「シティ・オブ・ブラック&ホワイト」には、その経験が確実に反映されている。5年間を費やし、ようやく形になった同作は、自信と幸福感に満ち溢れている。

 「この作品の核心はコミュニティを見つけることと失うことについてなんだ」と彼は語る。「旅人・短期滞在者・放浪者の男が、自分を大好きでいてくれる大好きな人たち…男、女、ミュージシャン、年寄り…あらゆる種類の人々のところにたどり着くというテーマが確実に存在するね。『ナッシング・レフト・トゥ・ルーズ』の旅する短期滞在者が、自分の居場所や、仲間たちや、愛を見つけたような感じなんだ。曲の多くは、そこから派生していった出来事を取り上げている。ルーツをたどった男が恋に落ちたり、ブラザーと腕を組んだり…ハイな出来事も辛い出来事も掘り下げているんだ。距離よりははかなさについて歌っているかな。忍耐や失恋に取り付かれてしまうような状態をね」そんな旅慣れた彼らしく、曲の中にはオレゴンやトルコなど様々な場所が登場するものもある。「最近地元に帰ったとき、オレゴン州立大学の音楽室に潜入したんだ。工事中だったんだけどね」と彼は笑いながら言う。「ドアをこじ開けて、バルコニーを伝って降りたんだ。そこで書いたのが〈ストレート・アウェイ〉さ。〈シティ・オブ・ブラック&ホワイト〉は、イスタンブールを2つに隔てつつ2つの大陸(訳注:ヨーロッパとアジア)の見えない境界線となっているボスポラス海峡を渡るフェリーの中で生まれたんだ。自分を新人アーティストとして確立させるために5年間闘ってきて、やっと勝利らしきものを掴んだ記念に、友人と旅行していたときのことだった。海の色が濃かったのを憶えているよ。友人が片方を向いて『ほら!ヨーロッパだ』と言うと、今度は反対側を向いて『ほら!アジアだ』と言って、また向き直ったことも憶えている」

 カーニーと、「ナッシング・レフト・トゥ・ルーズ」の舵取りを務めたロバート・マーヴィンとの共同プロデュースにより、昨年ナッシュヴィルのブラックバード・スタジオで録音された本作。別室ではジャック・ホワイト、マルティナ・マクブライド、ニコール・キッドマンまでもが作業をしていたという。本作ではカーニーが目指したビッグなサウンドが実現されている。
「予想よりビッグなサウンドになったね。80年代終わり頃の壮大さがあるという意味だけど。全体的に、かけたらいい気持ちになれるアルバムにしたいというのは分かっていた。身体に何かを求めてくるようなドラムとベースにしたかったし、ライヴで演奏するときに生き生きとする曲にしたかったんだ。サム・クックの曲をよく聴いていたから、曲の好き嫌いを判断する前に頭を揺らしてしまうようなリズム・セクションにしようと思った。文字通り、いい気持ちになれる曲になるように、1曲1曲にアプローチしたのさ」

 特に「シティ・オブ・ブラック&ホワイト」の前半はまさにそのやり方で書かれており、モータウン風の生命力が感じられる。「他にも初期のU2やトム・ペティ、それからランディ・ニューマンみたいなソングライターの曲をよく聴いて、彼らが簡潔さと奥深さをどうやって同時に実現しているかを解明しようとしたんだ。前のアルバムが色んな言葉やイメージを盛り込んで絶え間なく続く意識の流れだとしたら、『シティ・オブ・ブラック&ホワイト』は意図的で洗練されていると思う。粋でなおかつ壮大な感じにしようとしたからね。何もためらいたくなかったんだ」また、「シティ・オブ・ブラック&ホワイト」には、これまでの作品よりもカーニーのエレクトリック・ギターが多くフィーチャーされている。アコースティック・ギターとエレクトリック・ギターの他には、「キーボードをたくさん、眠たげな70年代のピアノ、変わった音のシンセサイザー、変なグロッケンシュピール(鉄琴)、それから、叩く物がなかったからねじ回しで鳴らした鐘」を演奏しているという。

 音楽に関しては典型的な遅咲きのカーニーは、大学半ばまで曲を書いたことがなかった。オレゴンでヒッピーの両親に育てられた彼は、幼少時に音楽に魅了され、マイケル・ジャクソンの「スリラー」やポール・サイモンの「グレイスランド」などのアルバムに夢中になった。しかし、彼の音楽生活が始まったのは、カリフォルニア州立大学チコ校の3年生と4年生の間の夏になってからだった。ナッシュヴィルに移った彼は友人の実習的デビュー・アルバム「ブレット」を発表。VH1が45週連続で〈ナッシング・レフト・トゥ・ルーズ〉をオンエアし続け、その後同局主催の第1回ユー・オータ・ノウ・ツアーのヘッドライナーにカーニーを起用したことが大きく功を奏し、3年後にはマディソン・スクエア・ガーデンで公演を行い、「ザ・レイト・ショー・ウィズ・デヴィッド・レターマン」に出演していた。〈ナッシング・レフト・トゥ・ルーズ〉〈アンデナイアブル〉〈ブリーズ・イン・ブリーズ・アウト〉はいずれもトップ40入りを果たしている。

 「今でも毎晩、現実を超越しているような気がしているんだ」とカーニーは言う。「自分が誰かを騙しているような感じだよ。いつか、オーディエンスがみんなダンボールを人型に切り抜いたやつだってばれるみたいな。今こうしてやっていけていることにとても感謝しているし、名誉に思っているよ」