キャット・デルーナ
とうとう主役が現れた。この夏のメイン・ディッシュをふるまってくれるのは、ホットな新人、キャット・デルーナだ。エレファント・マンをフィーチャーした“Whine Up/ワイン・ナップ”はスマッシュ・ヒットかつ素晴らしいダンス・トラックで、まもなく世界的なムーヴメントになるだろう。19歳の新星、キャットの主導により制作されたデビュー・アルバム『9 Lives~灼熱のダンスフロア』は、夏の終わりにチャートを制覇するに違いない。

キャット・デルーナは、クロスオーヴァーなどという表現には収まり切らないアーティスト。そのサウンドと同様に、彼女が受けた音楽教育もユニークで、幼い頃にオペラを学んだという。彼女のサウンドは、ヒップホップ、R&B、メレンゲ、ポップ、ラテン・ジャズ、エレクトロニカ、ダンスを融合した色彩豊かな絵のようだ。バイリンガルの女性シンガーである彼女は、あらゆることをこなすのである。19歳という若さで、キャットはエンタメ業界に君臨する大御所歌手の面々から称賛を浴びている。R&B界のスーパースターであるR.ケリーは、彼女を「天才」と評し、エルサルバドルの有名シンガー、アルバロ・トレスは、彼女を「現代のセレナ」と称している。

四拍子も揃ったキャットは、全てを兼ね備えたアーティストであるだけでなく、その親しみやすいキャラクターで、難なくファンとも心を通わせている。

成功を手中に収めたキャット・デルーナだが、これまでに苦労もしてきた。ブロンクスで生まれた彼女は、ドミニカ共和国で育ち、4歳の頃には、友達も家族も彼女の才能に気づいていたという。その後、彼女は家族と再びアメリカに戻り、今度はニュージャージー州ニューアークのラフな地域に移り住んだ。移住後まもなくした9歳の頃、彼女は両親の離婚をインスピレーションに使い、初めて曲を書く。その曲のタイトルは、“Estoy Triste”(I Am Sad)といった。「曲の中で、離婚についての私の気持ちをママに語り、“ダディを思って泣いたりしないで”と頼んでいたわ」とキャットは語っている。

父親が出て行った後、キャット・デルーナと姉妹達は、近所の人々に食べ物を請わざるを得ない状況にも陥った。しかし、そんな苦しい経済事情が、しっかりとしたプレティーンのキャット・デルーナに決心させたのだ――きちんと学校に通い、一生懸命勉強して「成功する」と。彼女は、地元のカーニヴァルでパフォーマンスを始め、ミリー・ケサダやマーク・アンソニーといった有名ラテン・アーティストと同じステージに上った。また、時間を見つけてはアレサ・フランクリンやビリー・ホリデイのレコードを聴き、カラオケで毎日彼女達の歌唱を真似ていた。

アーティストとして成功するという目標を持った14歳のキャットは、ニュージャージー・スクール・オヴ・ザ・パフォーミング・アーツに合格する。同校は芸術を専門としており、サヴィオン・グローヴァーやホイットニー・ヒューストン、ティーシャ・キャンベルといった有名アーティストも通っていた高校。1年生の頃から彼女はヴィレッジ・ヴォイス紙でオーディションを探し、その素晴らしい才能を示すチャンスを絶え間なく求めていた。そしてとうとうある日、彼女はラテン系女性のみを集めたヒップホップ/R&Bグループ、コケットを結成する。

コケットと活動している間も、キャット・デルーナは「世界に知られるパフォーマーになる」という目標に近づくためのチャンスを探し続けていた。15歳の頃、彼女はカラオケ大会で不朽の名曲“I Will Always Love You”を歌って優勝し、運命に出会う。この大会を通じてキャット・デルーナはキューバの伝説的サルサ歌手、レイ・ルイスに出会った。ルイスがくれたアドバイスを彼女は今も心に留めているという。「彼は、“君を1番良く知っている人間は、君自身なんだ。君が自分のことを助けられなければ、他人だって君を助けることはできない”って言ったの」とキャット・デルーナは語る。このアドバイスを胸に、キャット・デルーナは精力的に曲を書き始め、今でも自分で曲を作り続けている。この夏、キャット・デルーナのデビュー・アルバム『9 Lives~灼熱のダンスフロア』は、GMBミュージック・グループ/エピック・レコーズから大々的にリリースされる。