ヒューイ
おそらくこの男は生まれつきクールなのだ。LLCool Jのように礼儀正しく、若いMaster Pのように仕事をし、ラッセル・シモンズのようにお金を稼ぐ。そして2Pacのようにライムを書く素質がある。セントルイス発ヒップホップのHueyが上陸だ。

Nelly, Chingy, St Lunaticsなどを誕生させたセントルイス出身の19歳。「俺は多才なんだよ。」とHueyはあっさりと言う。「ビートが俺にこうしろって言うことはなんでも、、、、例えば女性に自分の気持ちを伝えるのもすごいクールな感じでリラックスできるし、お金についてどう思っているかとか、クラブでダンスする感じとか、たくさんのことがこのアルバムに詰め込まれるよ。」

アーリントン・アヴェニュー50区にて生まれたHueyは、早い時期から自分の音楽的側面の探求を始め、最初は近所の友達と内面にある才能を表現するためにビートを作っていたが、その後曲を作り始める。「決して真剣になったことはなかったよ。」とその当時をHueyは語る。

15歳の時に周りからたくさんのサポートと支援を受け、兄は地元のエージェンシー、アンジェラ・リチャードソンの元へHueyを連れて行く。その後リチャードソンの一員のソロとして活動を始め、瞬く間に世間の評判になる。又DJやプロモーターと仕事をしながら築いた関係は、クラブやラジオで力となり後々の地元の成功にも繋がっていった。

Hueyが作ったものへの影響力に感心したDJ Chapmanは”Pop Lock&Drop It”を聴き、クラブでその踊りを見た彼は、Hitz Committee Incの社長、そしてJive RecordsのA&RのVPでありT-PainやJ-Kwonと契約した人物である、ミッキー・MeMpHiTz・ライトとHueyを会わせる。「その時は、どうでもいいけどね、って思った。けど、その一週間後にミッキーは俺をNYに呼び寄せて契約したって訳さ。」

Hueyがより多くのサポートを得たのは容易に想像できる。Hitz Committeeから初めてリリースされるアーティストとなるHueyは彼の地元であるセントルイスから連れ出され、アトランタのダウンタウンにあるマンションを与えられたが、「俺は死ぬまでセントルイスさ。俺は地元を愛しているよ。へイターは少しいるけれどそれはアメリカならどこにでもいるしな。」と言う。

The Notebook Paperには、Yo Gotti, YoungBloodz, T-Pain, Lloyd, Asia, Raheem DeVaughnそしてM.O.Sなどが参加予定。これは若いHueyから見た、真にせまる供述書のようだ。「基本的に俺たちは自分の周りの環境を受け入れなきゃいけないだろ。で、若いし、銃だって回りにあって、ドラッグだってある。いけてる車だってあって、酒やすべてがある。そこにノートがあれば、それがライムになる。だから基本的にはこれは事実なんだ。それでNotebook Paperって呼ばない訳ないだろ?」

リード・シングルである”Pop,Lock&Drop It”は彼にレコード契約をもたらした曲であり、彼の説得力のあるフロウを確立するために効果的だった。「クラブから始めたんだ。」と彼が言うように自分で自分の曲を配って回った。「俺たちが気づく前に、1番多くかかる曲になってたよ。」とHueyは振り返る。

ジャジー・フェイ制作の”When I Hustle”Featuring Lloydでは「女性に俺たちは家にいなくても頑張っている、心の中ではいつも想ってる、って伝えてる曲なんだ。仕事を頑張って家庭も大切にして、家にいなくたって彼女のことを想ってるってことさ。ただ何もしてない訳じゃないんだ。」

新人Asiaをフューチャーした” Luv N Ya Life e”もサグに恋している女性への曲だ。2Pacやビギーからライムを学んだHueyは「女性がいないとダメだよ。この業界は女性がいないと成り立たない業界だ。これはサグが好きな女性への曲だけど、彼女達は単にサグが好きなわけじゃなく、彼女たちをきちんと女性として扱ってくれるサグが好きなんだ。」と語る。

“Adidas”はHueyが1番好きな靴であるアディダスに捧げた曲だ。「これは別バージョンのAir Force Oneみたいなもんだ、ただ違う靴だけどね。スポンサーを獲得しようとしたり、アディダス通になったり。俺はすっかりアディダスにはまっちゃてるよ。俺はそんな男さ。」

「今、俺らは商業用だよ。つまり、今俺らは単なる商売の場所として見られてるってことさ、けど違う。俺らは商業用じゃない。信じ難いかもしれないけど、本物のギャングスタがセントルイスにはいるし、俺が新しいセントルイスを見せてやるよ。」