ドゥノッツ
1994年4月16日土曜日、ドイツの田舎町イベンビューレンのとある小さな小屋の中で、DONOTSはUWT、STOKEY、MASS HYPNOSISらと共に初めてのライヴを行っていた。そのとき彼らにとって初のデモ・テープ「WE DO NOT CARE SO WHY SHOULD YOU?」は、まだ製作の途中であった。



2004年4月16日金曜日、ドイツのミュンスターで、Döners(DONOTSのメンバーたち)たちはバンド結成10周年を祝っていた。これまでに数個のデモ・テープと数枚のEP、そしてDIY RECORDSからの2枚のアルバム(DIYとは手作り/DO IT YOURSELFという意味で、完璧なパンク・レコ-ドトということ)に、3枚の“リアル・レコード”をリリースしてきた彼らは、今すべてのアマチュア・ミュージシャンの夢を実現させた存在となっていた。それはつまり、自分ではわけがわからないまま、自分では信じられないような成功を収めてしまった、ということだ。では、いったいヤツらはどうやってそれを成し遂げたのだろうか・・・?



バンド結成から1年、94年から95年の間に、イベンビューレンのほぼすべての場所、どんなところでもプレイし尽くしたDONOTSは、翌年96年に初めて町の外へ出た。DOWNSET、NO FUN AT ALL、PROPAGANDHIといった有名なバンドたちがこぞって彼らにサポート・アクトを要請したが、DONOTSを目にしたオーディエンスは彼らに勝るバンドなどあり得ないことがわかったはずだ。そのオーディエンスのサポートを得たDONOTSは97年になっても数え切れないほど多くのギグを続け、98年にはずっと大ファンだったSAMIAMの全ツアーをサポートし、夢にまで見ていたヒーローと初めて対面することに至る。そのうえ、BIZARRE FESTIVALのVISIONSで優勝し、GUN RECORDSとの契約も果たす。しかしそれだけでは終わらなかった・・・。

スペインのハヴェアでÄrzte のプロデューサーUWE HOFFMANN の助けを借りて、デビュー・アルバム「BETTER DAYS NOT INCLUDED」(99年)をレコーディングした彼らは、SAMIAM(最高!)や、ALL、BLOODHOUND GANGらと共にツアーを行う。結局ライヴ漬けの日々、“オン・ザ・ロード”(ツアー)の日々は、2001年にセカンド・アルバムを製作するまで続いた。

 GUN RECORDSからのそのセカンド・アルバム「ポケットロック」のリリースに先がけ、すでに数週間前からシングル「ワットエヴァ・ハプンド・トゥ・ザ・80S」は、ラジオや音楽チャンネルで好評を得ていた。このアルバムで、彼らはその後もタッグを組むことになるファビオ・トレンティーニと初めてコラボレートを行った。「ポケットロック」はドイツのアルバム・チャートを30位まで上昇。DONOTSはROCK AM RINGやHURRICANEといったフェスティヴァルのメイン・ステージでプレイし、さらにBIZARRE FESTIVALのFAT STAGEでもダブル・ヘッドライナーを務めた。そして!そんなフェス気分を変えるためになんと、またもやツアーに出発したのだ。こんな生活の彼らに、自分の寝床なんてあったのだろうか?



 そして2002年は「ポケットロック」の成功の賜物といえる「アンプリファイ・ザ・グッド・タイムス」をリリースし、これはドイツのアルバム・チャートを18位まで駆け上った。いまやDONOTSは、スピードボート・レースと馬のブリードを楽しんだりするロック・スターへと変貌を遂げていた。スウェーデンのMILLENCLINのサポート・アクトなどをしながら、スイス、オーストリア、フランス、スペイン、そしてロンドンのブリクストン・アカデミーなどでライヴを行ったが、イギリス人の誰一人彼らの存在を知らなかったにも関わらず、ブリクストンは熱狂の渦に巻き込まれた。

また同年秋には古いメタル・クラシック(トゥウィステッド・シスター、アンスラックス、ランニング・ワイルドなど)のカヴァーをフィーチャーしたEP「WE’RE NOT GONNA TAKE IT」をリリースし、その年の終わりには日本で初のライヴを行う。その後NYのミュージック・イベント「CMJ」でショーケースを行った彼らは、遂に国際的に認められる存在となっていた。

 2003年になると5人は子供時代の夢を実現。DONOTSに圧倒的な影響を与えた彼らのヒーロー、3 COLOURS REDとツアーを行ったのだ。そして再び日本へ行き、今回もヘッドラインでライヴを行った。日本では「アムプリファイ・ザ・グッド・タイムス」が、インターナショナル・セールス・チャートで5位まで上昇しており、彼らはそんな日本に深い感銘を受けている。



と、以上がDONOTSのこの10年の出来事を簡単にレビューにしたものである。



そんな彼らの新作「ゴット・ザ・ノイズ」はタイトルそのままの内容となっている。

「アルバム・タイトルとファースト・シングル“ウィ・ゴット・ザ・ノイズ”は、こんな生活をずっと続けてきた今でも、おれたちはバンドでノイズをあげることにまだエンジョイしているんだ、っていう事実を歌っている」

と、ヴォーカリストのインゴは語る。

「メンバー同士は親友だし、数年はこのまま行くつもりだ。だってまだ目標には到達していないし、確実にこの先おれたちを待っているものがあるんだからね。新作はそういったことの良いスタート・ポジションにあると思う」

 EP「WE’RE NOT GONNA TAKE IT」と同じく、「ゴット・ザ・ノイズ」も、出来る限りライヴでレコーディングしたという。

「おれたちは良いマテリアルを自然に集めることができるんだって、証明したかったんだ」

とインゴ。

「スタジオに入っても、楽曲のアレンジさえしなかったよ。ただジャム・セッションをしていたただけさ。そんなやり方だったら、ライヴをレコーディングせざるを得ないだろう」

GAGA STUDIOを基盤にしたハンブルグでのレコーディング・セッションは、昨年秋に4週間かけて行われた。操縦席には、今回プロデューサーのファビオ・トレンティーニではなく、エンジニアのPETER SEIFERT a.k.a. JEMがいた。しかしバンドは新しいアイデアを求めてはいたが、トレンティーニ(インゴが言うには、“おれたちが想像できるポップでキャッチーな楽曲にベストな男”)なしのレコーディングには違和感を覚えていたらしい。

 だがDONOTSは再びリスナーを驚かすような楽曲を13曲レコーディングしている。「ディスアピアー」や「パンチライン」といった楽曲ではゆがんだローズピアノが響き、アコースティックなバラード「グッド・バイ・ルーティーン」や「ユア・ウェイ・ホーム」などの80sぽいメランコリーなトラックは、聴衆を大いにぞくぞくさせることだろう。3回目に聴いたときに人々をニヤニヤさせるミッドテンポで典型的なDONOTSソングといえば、「ウィ・ゴット・ザ・ノイズ」や「イッツ・オーヴァー」、「オーライト・ナウ」などであり、インゴはバンドAのシンガー、ジェイソン・ペリーとマイクを共有している。ジェイスンは平気な顔をしてハンマー・バージョンだけを歌うためにスタジオへ現れたのだ。そしてまた、3 COLOURS REDのヴォーカリストPETE VOCKOVICが「ノウリッジ」に参加。これはロックン・ロールの決まり文句でわざと大げさに飾り立てられた楽曲(とインゴの言う)で、クライマックスではDONOTSのギタリストであるギドーと3 COLOURS REDのギタリストCHRIS McCORMACKが勝負をしている。



「自分の望みはわからずとも、望まぬものはわかっている」という言葉を思い出して欲しい。DONOTSはすでに10年間も、自分たちが何を望んでいるのか知っているのだから・・・。

<メンバー>

ヴォーカル・・・インゴ/INGO

ギター・・・アレックス/ALEX

ベース・・・J.D(JAN DIRK)

ギター・・・ギド/GUIDO

ドラム・・・エイク/EIKE