バリー・マニロウ
1946年6月17日、米国ニューヨークのブルックリン生まれ。本名はバリー・アラン・ピンカス。数多くのヒット曲を持ち、アメリカ音楽界を代表するエンターテイナーであり、シンガー/ソングライター/プロデューサーとして現在も幅広く活躍。1960年代から音楽活動をはじめ、アリスタ・レコード社長のクライヴ・デイヴィス(現SONY BMGの北アメリカ最高経営責任者)に見出され、1973年にデビュー。1974年の「哀しみのマンディ(Mandy)」が全米NO.1に輝く大ヒットを記録して、一躍スターダムへのし上がる。以後、「歌の贈りもの(I Write The Songs)」、「想い出の中に(Looks Like We Made It)」、「コパカバーナ(Copacabana)」、「涙色の微笑(Can't Smile Without You)」など、数々のミリオン・ヒットを生み出し、これまでにエミー賞、トニー賞、アメリカン・ミュージック・アワード、グラミー賞などを受賞。名実ともにアメリカ音楽界のスーパースターとして活躍中。2001年に長年在籍したアリスタからコンコード・レーベルに移籍し、同年11月に第1弾アルバム『ヒア・アット・ザ・メイフラワー(HERE AT THE MAYFLOWER)』(日本でもビクターから同年12月にリリース)を発表。2004年11月には自身が手がけたミュージカル作品『Copacabana』『Harmony』の楽曲スコアを使って、豪華なフル・オーケストラをバックに歌う『スコアーズ(Scores)』をリリース。また、同年には日本で「涙色の微笑」が三洋電機「太陽光発電」テレビCMに使用され、話題を呼んだ。2005年12月には好評を博しているベスト盤シリーズ『THE ESSENTIAL』のバリー・マニロウ編である2枚組『エッセンシャル・バリー・マニロウ』が日本でも発売。2004年に発売され、全米で大ヒットした1枚もののベスト盤『アルティメット・バリー・マニロウ(Ultimate Manilow)』に収録できなかったヒット曲を完全網羅したこの最新ベスト・アルバムも、好調なセールスを記録している。全米では2006年1月に発売された前作『ザ・グレイテスト・ソングス・オブ・ザ・フィフティーズ』が、2/18付けのビルボード誌のアルバム・チャートで初登場NO.1に輝く爆発的ヒットを記録。バリーにとっては、1977年の『バリー・マニロウ・ライヴ』以来、実に29年ぶりの全米NO.1に輝く大ヒット作となる。日本では同年8月にリリースされたその『フィフティーズ』では、岩崎宏美とのデュエットによる「シンシアリー/今夜教えてね」を特別収録。この日本盤の発売に先駆けて、8/5(土)には現在バリーが米国ラスベガスの老舗ホテル、ラスベガス・ヒルトンで行っているロングラン公演「music and passion」に岩崎が招かれ、ステージでバリーと「シンシアリー/今夜教えてね」をデュエットするという夢の共演も実現し、大きな話題を呼んだ。また、ロングラン公演中の「music and passion」は、2006年8月に発表された米国エミー賞を受賞。さらに2006年11月からキャメロン・ディアスが日本のお茶の間に登場して話題になった“ソフトバンク モバイル”のテレビCMに、バリーの1978年の大ヒット曲「コパカバーナ」(全米最高8位) が使用され、問い合わせや着うた、着メロのダウンロードなどが殺到。大きな注目を集めています。

2007年1月16、17、18日には米国ニューヨークのマディソン・スクエア・ガーデンにおいて“An Evening of Music and Passion”と題された特別凱旋公演を3日間開催。再びクライヴ・デイヴィスがプロデュースしたアルバム『ザ・グレイテスト・ソングス・オブ・ザ・シックスティーズ』は同年10/31全米発売、11/18付のビルボード誌の全米アルバム・チャートで初登場2位を記録。さらに2007年9月17日には70年代ヒット曲集にあたる『ザ・グレイテスト・ソングス・オブ・ザ・セヴンティーズ』を全米でリリース。この『セヴンティーズ』も、全米アルバム・チャートで初登場4位を記録する大ヒット。この『セヴンティーズ』の発売に合わせて、2008年初頭には全米ツアーも実現。米国エミー賞を受賞したバリーのロングラン公演「music and passion」は、ラスベガスの老舗ホテル、ラスベガス・ヒルトンで現在は「Ultimate Manilow The Hits」とタイトルも変え、装いも新たに大ヒット公演中。