ベイビー・バッシュ
カリフォルニア州、ヴァレホ出身。メキシコ人の母親とアングロサクソンの父親の間に生まれるが幼少期は両親ともにドラッグが原因で刑務所に入っていた為祖母に育てられる。その頃の彼の夢は、Rapperとプロのバスケット選手だった。



高校を卒業した後、地元のレコーディング・スタジオに友達の付き合いで出入りするようになり周りの影響も受けてラップを始める。しかし決して本気になることはなかった。「ただくだらないことを言ったり、楽しいことを言って周りの人を笑わすのが好きだったんだ。」しかし彼の独特なフローはカリフォルニアのロー・ライダーを魅了し、各地を旅するカー・ショウでのパフォーマンスを通じてLatin Hip Hopのゴッドファーザー、フロスト(Latino Velvetのメンバー。Latino Velvetとしては、98年に名作であるRaza Parkを生んだデビューアルバム”Clique”をリリースし2000年に2ndアルバム”Velvet City”をリリースしている。)やPotna Deuceと出会いで本格的に活動を始めるようになる。(当初三菱の車に乗っていたことから“Baby Beesh”と呼ばれていたが、後にBaby Bashと改名する。)そしてフロストによってヒューストンのラッパーSouth Park Mexicanに紹介される。南西部では名が通っていたSouth Park MexicanがBaby Bashのソングライターとしての才能に感心し、Baby BashはSouth Park Mexicanに”Wiggy”という曲を書き、これがきっかけでSouth Park Maxicanはユニバーサル・レコードと契約するもすぐに投獄されてしまう。しかし、Baby Bashは自分の道を進むべく曲作りを続け、”Lifted”という曲がラジオ局の関係者に渡る。インディペンデントのリリースにも関わらず南部とウエスト・コーストのラジオでは大ヒットとなる。その後すぐに複数のレコード会社からのオファーを受け、そのうちの1つコロンビアからの依頼でFrankie Jの曲を書く。そんな中引き続きラジオ・ヒットを記録している”Lifted”がBaby Bashにユニバーサル・レコードとの契約をもたらし、この”Lifted”が後に大ヒットを記録することになる”Suga Suga”と改名され、2003年秋、デビュー・アルバム”Smokin’ Nephew”がリリースされる。メジャーレーベルからリリースしたことにより”Suga Suga”はアメリカ全土でヒットし、全米シングル・チャート7位、リズミック・チャート2位、又アルバムもアメリカで50万枚と大ヒットを記録、彼の名が一気に知られるようになった。 2005年にはセカンド・アルバム”Super Saucy”をリリース。今や押しも押されぬR&Bシンガー・ソングライター/プロデューサーのAkon、R&BスターのAvantなど多くのゲストが参加し、こちらも全米チャート11位、R&B/Hip Hopアルバムチャート7位と大成功を収める。又彼のストレートな曲作りは、Frankie Jの”Obsession”やPaula DeAnda”Doing Too Much”など多くの依頼をうけ、曲作りでの才能も発揮している。



「特に自分の音楽がラップかR&BかHip Hopかポップかなのかは気にしてないんだ」とヒューストンを拠点とするBaby Bashは語る。「全部が融合したものなんだ。それが何なのか、俺がどこの出身なのかわからないだろ?そういうのが好きなんだ。」



2007年、歴史は繰り返す。“Mamacita”は南部からウエスト・コーストのラジオでヒットしている。そしてBaby BashはArista レコードと契約をし、待望のサード・アルバムがリリースされる。