アンソニー・ハミルトン
 サム・クックやオーティス・レディング、そしてカーティス・メイフィールドやダニー・ハザウェイといった誰もが認めるクラシックでトラディショナルなソウル。それは教会に根付いた神を讃える精神とありのままを伝えるストーリーテリングのコンビネーションであった。最近のアーティストでリアルにそのトラディショナル・ソウルを継承しているアーティストはごくわずかしかいないが、アンソニー・ハミルトンは間違いなくその代表である。

 ヘア・スタイリストを職業としていた彼は1993年、シャーロッテを離れ当時ジョデシやへヴィ・D、メアリー・J.ブライジなどをヒットさせていたアンドレ・ハレルのレーベル、Uptown Recordsとサインするのを契機にニュー・ヨークへと移る。しかし1995年にファースト・アルバムを完成させるもレーベルは消滅、デビュー・アルバム『XTC』はMCAからリリースとなった。その後1999年にはロス・アンジェルスをベースとするレーベルSoulifeに移籍。新作の準備をしつつ、サンシャイン・アンダーソン(「Last Night」)やドネル・ジョーンズ(「U Know What’s Up」)といったアーティストたちの曲作りに参加、ソングライターとしての活動も本格化させた。

 2000年になるとディアンジェロが自身のツアーでアンソニーをバックボーカルに起用。しかしそのツアーから戻ると彼のサインしていたレーベル、Soulifeは存在しなくなっていた。

 その後の2年間、彼はバックボーカルやフィーチャリング・アーティストとしてイヴの「Ride Away」、イクジビットの「The Gambler」、2パックの「サグズ・マンション」といった作品に参加。そして2002年、彼にとってブレイクのチャンスが訪れる。ゲスト参加したナッピー・ルーツの「Po’ Folks」が大ヒット、2003年のグラミー賞で最優秀ラップ/ソング・コラボレーションにノミネートされたのだ。グラミー賞当日、著名なエンターテインメント弁護士のロンデル・マクミリアンのブランチ・パーティのとりで歌うことになったアンソニーは、その見事な歌でゲストたちを圧倒。そのゲストの中には業界のベテランで常に新しい才能に目を光らせているマイケル・モールディンがおり、彼はアンソニーを自分の息子で世界を代表するヒットメイカー、ジャーメイン・デュプリに紹介。48時間後にはジャーメイン・デュプリのレーベル、So So Defとの契約が決まっていた。

 デビュー以来苦節約10年、再スタートとなったSo So Defから2003年リリースされた『Comin’ From Where I’m From』は見事プラチナ・アルバムとなり、シングル「Comin’ From Where I’m From」「Charlene」「Cornbread, Fish And Collard Greens」などのヒットにより、グラミー賞にてベスト・コンテンポラリー・R&Bアルバム、ベスト・トラディショナル・R&B・パフォーマンス、ベスト・R&B・ソングの3部門に見事ノミネートされるにいたった。

続くセカンド・アルバム『Ain't Nobody Worryin’』でもゴールドを記録。遂にアンソニーはシンガー、ソングライター、ミュージシャンとして60年代後半から70年代前半のソウル黄金期を再び呼び起こすような唯一無二の存在として確立されるようになった。

アンソニーのそのソウルフルで甘いヴォーカルは様々なジャンルのアーティストから絶大なる支持を得ており、R&Bやヒップホップだけでなく、ゴスペルやカントリーのアーティストとの客演実績においても高い評価を得ている。近年では最も注目のR&Bシンガーのキーシャ・コールとの共演が話題になり、2008年には大復活を遂げたソウル・レジェンド、アル・グリーンのアルバムで2曲もフィーチャーされるなどしてその実力ぶりを発揮している。しかし、キャリア史上最大のハイライトは2007年11月に公開されたデンゼル・ワシントン主演の映画『アメリカン・ギャングスター』の挿入曲としてアンソニーの楽曲が使用されたことである。ダイアン・ウォーレンが手掛けた「Do You Feel Me」というこの曲は主題歌にはならなかったものの、劇中では重要なシーンで挿入され、映画全体を通してアンソニーの歌声は非常に印象に残るものとなった。しかもアンソニー本人もこの映画にバーで歌うシンガー役としてカメオ出演しており、アンソニーの音楽が映画のイメージづくりに重要な役割を果たしていたことは言うまでもない。