サヴェージ・ガーデン

~サヴェージ・ガーデン / 早わかりバイオグラフィー~

 ボーカルのDarren Hayes(26歳)とキーボード&ギター担当のDaniel Jones(25歳)が知り合ったのは1994年。兄弟とバンド活動をしていたDanielがボーかリストを求む広告をある雑誌に載せたところ、応募してきたのがDarrenだった。二人はすぐに意気投合し、程なくしてバンドを脱退、二人で活動を始める。多くのレコード会社にデモテープを送り続け、1995年にオーストラリアのロードショー・ミュージックと契約。すぐにレコーディングに取りかかった。レコーディングを終えた後、すぐにリリースされたデビューアルバムのファーストシングル "I Want You"は予想を上回る大ヒット! 続くセカンド・シングル "To The Moon & Back"で、その年のシングル年間売り上げ1位を獲得し、その地位を不動のものにした。

 世界デビューが決まったのは96年。オーストラリアで行われた音楽コンベンションに出席していたテキサスのラジオDJが "I Want You"を気に入り、CDを持ち帰って地元のラジオ局でかけたところ、問い合わせが殺到。このテキサスでの盛り上がりが全米各地に飛び火し始めた頃、ソニーがこのバンドといち早くワールドワイド契約。オーストラリアから世界へと、舞台が広がっていった。

 1997年4月、世界デビュー。アメリカでの反応は素晴らしくデビュー・シングルにして、最高4位まで昇り詰めた。その後も、アメリカ、ヨーロッパ、日本、アジアと、サヴェージ・ガーデンの人気はどんどん拡大していった。

 1997年秋に行われたオーストラリア版グラミー賞、ARIA AWARDSでは、記録タイの10部門で受賞し、名実ともにオーストラリアNo.1のバンドになったのだった。サード・シングル "Truly Madly Deeply"は、98年1月見事全米No.1を記録。全米シングル・チャート、エアプレイ・チャートの上位に居続けるスマッシュ・ヒットとなった。

 1998年2月にオーストラリアからスタートさせたワールドツアーの一環として、4月に初来日公演。大阪、名古屋、東京で全4公演を行い、大成功を収めた。その後アジア諸国、インド、ヨーロッパでコンサートを行い、7月には2ヶ月間に渡る全米ツアーをスタートさせた。アメリカでは約50都市をくまなく回り、各地で大きな反響を呼んだ。アルバムのセールスは、アメリカの600万枚を始め、ヨーロッパで200万枚、カナダで100万枚アジアで70万枚と、全世界で1100万枚の売り上げを記録。

 1999年にリリースされたセカンド・アルバム「アファメーション」からのファースト・シングル "I Knew I Loved You"は、全米シングル・チャートでNo. 1を獲得。いわゆる一発屋のポップ・バンドではないことを証明した。セカンド・アルバムは全米だけで300万枚、全世界でのセールスは700万枚を超え、いまだに売れ続けている。日本でもプラチナ(20万枚)を超え、日本を皮切りにスタートさせた2000年の世界ツアーも、各地で大成功を収めた。

 サード・アルバムのリリース予定は今のところ聞こえてこないが、ボーカルのダレン・ヘイズがソロ・アルバムを発表するかも、という噂があるのと同時に、ギターのダニエル・ジョーンズも自身のレーベルを立ち上げて、新人アーティストのプロデュースを行っている。今後もこのメロディー・メーカー2人に注目が集まる事は間違いない。