ラファエル・クーベリック

ラファエル・クーベリックの生涯

1914年      6月29日 プラハ近郊ビーホリに生まれる
1929~1933年     プラハ音楽院で作曲、ヴァイオリン、ピアノ、指揮を学ぶ
1934年      1月24日 チェコ・フィルとの最初のコンサート
          (父ヤンの独奏による「幻想曲」、チャイコフスキーの交響曲第4番)
1935~1936年     父ヤン・クーベリックの伴奏者としてルーマニアとアメリカ楽旅
1936~1939年     チェコ・フィルハーモニー管弦楽団常任指揮者
1937年      アメリカではじめて指揮 
          ターリヒの代役としてイギリス、スコットランド、
          ベルギーでチェコ・フィルを指揮
1938年       チェコ・フィルとのイギリス、スコットランド、アイルランド、
         ベルギーへの2度目のツアー
         ロンドンでチェコ・フィルを指揮して生涯初のレコード録音
         (スメタナ「わが祖国」から「モルダウ」と
          「ボヘミアの森と草原から」、HMV)

1938年~1945年 ドイツによるチェコ占領

1939年~1941年 ブルノ・ヤナーチェク歌劇場音楽監督
1942年~1948年 チェコ・フィル音楽監督
1945年 6月20日  第2次大戦終結を記念して、プラハ旧市街広場でスメタナ「わが祖国」を指揮
1945年以降    ヨーロッパ各地、イスラエル、北アメリカ、オーストラリアで客演指揮
1946年      「プラハの春」音楽祭を創設、第1回開催
         チェコ・フィルを指揮してHMVに録音、第2次大戦後初の録音セッション
        (ヤナーチェク「シンフォニエッタ」、ドヴォルザークの序曲「謝肉祭」
        「自然の王国で」「オセロ」)
1948年      7月5日 亡命前のチェコ・フィルとの最後のコンサート
          7月17日 チェコを離れる
          フィルハーモニア管弦楽団と初録音(ドヴォルザークの交響曲第7番、HMV)
1950年~1953年 シカゴ交響楽団音楽監督
1951年      4月23日~24日 シカゴ交響楽団を指揮してマーキュリーへの初録音
        (ムソルグスキー「展覧会の絵」、バルトーク「弦楽器・打楽器・
         チェレスタのため音楽」、ブロッホ「合奏協奏曲」)
1954年      6月26日~27日 ウィーン・フィルを指揮してデッカへの初録音
        (ピエール・フルニエとのドヴォルザークのチェロ協奏曲、
         マーラーの交響曲第1番)
1955年~1958年 イギリスのロイヤル・オペラ音楽監督
1960年 2月12日  バイエルン放送交響楽団との初共演
        (マルティヌー「二重協奏曲」、モーツァルトの協奏交響曲 K. 364、
         ベートーヴェンの交響曲第7番)
1961年~1979年 バイエルン放送響首席指揮者
1963年      2月 ドイツ・グラモフォンへの初録音(ベルリン・フィルとの
         シューマンの交響曲第1番・第4番)
         4月 バイエルン放送響とのドイツ・グラモフォンへの初録音
         (モーツァルト「ハフナー・セレナーデ」)
1965年      4月 バイエルン放送響との最初の来日公演
1966年~1973年 ベルリン・フィルとドヴォルザークの交響曲全集を録音
        (ドイツ・グラモフォン)
1967年~1971年 バイエルン放送響とマーラーの交響曲全集を録音(ドイツ・グラモフォン)
1968年      8月21日 ワルシャワ条約機構加盟国軍によるチェコ侵攻に対し、
         150人のアーティストと共に共産主義諸国に対してボイコットを表明
1971年~1975年 欧米の9つのオーケストラを指揮してベートーヴェンの交響曲全集を録音
        (ドイツ・グラモフォン)
1973年~1974年 メトロポリタン歌劇場音楽監督
1975年      5月 バイエルン放送響との2度目の来日公演
1976年      9月 バイエルン放送響とドヴォルザーク「レクイエム」を録音
        (ドイツ・グラモフォンへの最後の録音)
1977年      3月 バイエルン放送響とニコライの歌劇「ウィンザーの陽気な女房たち」
         を録音
        (1958年以来約20年ぶりのデッカ録音)
1978年      9月27日~30日 CBSへの初録音(シューマンの交響曲第4番と
         マンフレッド序曲)
1979年~1985年 バイエルン放送響首席客演指揮者
1979年      11月5日~17日 バイエルン放送響とウェーバーの歌劇「魔弾の射手」
         録音(デッカ)
11月18日~21日    バイエルン放送響とブルックナーの交響曲第4番を録音、
         初のデジタル録音(CBS)
1983年      4月・5月 バイエルン放送響とブラームスの交響曲全曲演奏・録音
         (オルフェオ)
1984年      5月 スメタナ没後100年を記念してバイエルン放送響と「わが祖国」
         を演奏・録音(オルフェオ)
1985年      6月7日 バイエルン放送響との最後のコンサート
         (ヘンデル「合奏協奏曲 ト短調」とブルックナーの交響曲第9番)
1990年      4月8日 42年間の亡命生活の後、チェコに帰国
         5月12日 「プラハの春」音楽祭の開幕公演でチェコ・フィルを指揮して
         スメタナ「わが祖国」を演奏
1991年      10月11日 プラハでチェコ・フィルを指揮、ドヴォルザーク生誕150年記念
         演奏会で、モーツァルトの交響曲第38番 「プラハ」、
         フィルクスニーの独奏でピアノ協奏曲第25番、
         ドヴォルザークの交響曲第9番「新世界より」を演奏
         11月2日 東京サントリーホールでチェコ・フィルを指揮して
         スメタナ「わが祖国」を演奏
         (これが生涯最後の指揮となった)
1996年       8月11日 スイス、カスタニエンバウムで死去
         9月18日 プラハ・ヴィシェフラード墓地の父ヤンの墓の隣に埋葬