ピーボ・ブライソン

1951年4月13日、サウスカロライナ州ジャクソンヴィル生まれ。



コンサートに行くのがなによりも大好きという両親の影響で、幼い頃から音楽に親しむ。



10代でローカルバンドのヴォーカリストとなり、70年代はじめにはアトランタのインディーズ・レーベル、バング・レコードのハウス・ソングライター兼プロデューサーとして、仕事を始める。



そして、75年に同レーベルよりアルバム『PEABO』でレコーディング・キャリアをスタート。このアルバムがメジャーの目にも止まり、ピーボ・ブライソンはキャピトルと契約する。



78年メジャー・デビュー・アルバムとして『Reaching For The Sky』を発表。アルバムは、ゴールド・ディスクの大ヒット。この作品は、アーティストからも注目され、タイトル・ナンバーは、ディオンヌ・ワーウィックがカヴァーし、『Feel The Fire』は、ステファニー・ミルズとテディ・ペンダーグラスがデュエットしている。



キャピトルには83年まで在籍し、計9枚のアルバムをリリース(ディスコグラフィーを参照)。そのなかに3枚のデュエット・アルガムがある。



79年のナタリー・コールとの成功を収めたアルバム『愛に生きて』(83年9月10日付けビルボード・アルバム・チャートで最高25位)、そして、同じくロバータ・フラックとのツアーを収録したライヴ・アルバム『Live And More』がある。



84年にキャピトルを離れ、エレクトラに移籍。



88年の14thアルバム『ポジティヴ』まで5年間在籍し、4枚の作品を残す。そして、また古巣のキャピトルに戻るが、『All My Loce』1枚を発表したのみで、新天地を求めコロムビア・レーベルに移籍。



その第1弾として発表されたのが、91年6月20日に日本発売された『雨がやんだら』である。



コロムビア移籍後、ソロ活動と平行して取り組んだのが、ディズニー・ア二メのテーマ・ソング。



92年にセリーヌ・ディオンとのデュエットで『美女と野獣』(4月18日付ビルボード・シングル・チャートで最高9位)を。そして、昨年93年にはレジーナ・ベルとアラジンの主題歌『ア・ホール・ニュー・ワールド』をデュエット。この曲があのホイットニー・ヒューストンの『オールウェイズ・ラヴ・ユー』から全米NO.1の座を奪い取り、3月6日付で1位に。