マイケル・ボルトン

マイケル・ボルトンは、これまでの30年以上に及ぶ長いキャリアの中で、全世界で合計5,000万枚以上(アルバムとシングルを含む)ものセールスを上げている。グラミー賞には4回ノミネートされ、そのうち「最優秀男性ポップ・ヴォーカル・パフォーマンス (Best Pop Vocal Performance)」を2度受賞。アメリカン・ミュージック・アウォーズでは6回も受賞を果たし、チャートに幾つものヒットシングルを送り出した。

15歳の時に、初めてレコード契約を果たした彼は、1970年代、ソロとして、グループとして数枚アルバムをリリース。その後のソロ・アーティストとしての礎をこの時期に築いた。レイ・チャールズやマービン・ゲイといったアーティストに多大な音楽的影響を受けた彼は、その類い希な声とソングライティングの才能で、ソニー・レコードとの契約を勝ち取り1983年にアルバム「マイケル・ボルトン(Michael Bolton)」でメジャー・デビュー。1987年にはセカンド・アルバム「ザ・ハンガー(The Hunger)」を発売し、確実にファンを増やしていった。

そんなボルトンのキャリアの転機は、1989年にリリースされたサード・アルバム「ソウル・プロヴァイダー(Soul Provider)」と共に訪れた。グラミー賞を受賞した「How Am I Supposed To Live Without You」で、彼の人気と知名度は飛躍的に上がり、スーパースターの座を獲得する。1991年には「タイム、ラヴ&テンダネス(Time, Love & Tenderness)を、そのすぐ後に、カヴァー集「タイムレス(Timeless (The Classics))を発売。1994年「ザ・ワン・シング(The One Thing)」をリリースした後、ザ・ワン・シング・ツアーを敢行。世界中のファンを魅了すると共に、ビル・クリントン元大統領の招待を受けて、何度かホワイト・ハウスでパフォーマンスも行った。

自身のアルバムをリリースする傍ら、他のアーティストへも曲を提供し、ソングライターとしても活躍していたボルトン。バーブラ・ストライサンド、キッス、ジョー・コッカー、ケニー・ロジャース、レイ・チャールズなどのアーティストと仕事をし、ボブ・ディランとも夢の競演を果たした。また、パティ・ラベル、ポインター・シスターズ、リー・グリーンウッドなどがボルトンに敬意を表して、彼の作品をカヴァーするなど、音楽業界の彼の影響力はますます大きいものとなる。

1995年「グレイテスト・ヒッツ(Michael Bolton’s Greatest Hits)」、「ディス・イズ・ザ・タイム(This Is The Time – The Christmas Album)」を2枚リリースし、1996年にはソニー・クラシカルからアリア集「マイ・シークレット・パッション(My Secret Passion – The Arias)」を発売(ビルボード・クラシック・チャートで6週間1位)するなど、アーティストの幅を大きく広げて活躍。ベイビーフェイスとのコラボレーションを果たした1997年発売のオリジナル・アルバム「オール・ザット・マターズ(All That Matters)」をもって、古巣ソニーを離れJive Recordsに移籍となった。

2002年5月、Jive Records(日本はゾンバ・レコーズ)からオリジナル・アルバム「オンリー・ア・ウーマン・ライク・ユー」をリリースするマイケル・ボルトン。これからもアーティストとしての大きな活躍が期待される。