マリオ・ヴァスケス
ニューヨーク・ブロンクス出身のプエルトリカン、マリオ・ヴァスケス。このハンサムで才能豊かな若者は既に全米3000万もの人に見られ、声を聞かれている。なぜなら彼は2005年のアメリカン・アイドルのファイナリスト12人として勝ち残った人物だからだ。しかし圧倒的な支持を集めるも、「自分のアーティストとしての運命は自分で決めたかった」とファイナリストを辞退してしまう。その後自身でクライヴ・デイヴィスに会いに行きオーディションを受ける。なんとクライヴは24時間も経たないうちに、彼とアリスタの契約を結んでしまう。

アリスタのA&Rチームは即座に、ヒット・メーカーでありシンガー・ソングライターのNe-YoとStargateの制作陣を用意する。そして完成したのが、現在全米のラジオでヘビー・ローテーション中の”Gallery”だ。他にはマライア・キャリーで知られるJohnta Austinを筆頭に、無敵のプロデューサーでビヨンセ、50Centを手がけるScott StorchとSean Garretや、UsherなどのSoulshock&Karlin,など錚々たる名前が並ぶ制作陣。「僕自身のすべてが反映される作品になると思う。生まれ育ち、今も住んでるニューヨークはいろんな人種や文化があり、音楽もいろんなタイプのものがある。とてもオープンなんだ。アルバムはR&B,Hip-hop,ラテン、Pop,そしてSoulまでいろんなタイプのものがあるよ。」とマリオ・ヴァスケスは言う。

ニューヨーク・ブロンクスで育ったマリオは音楽好きな母の影響で6才の頃から歌い始める。当時はソウル、ドゥー・ワップ、ラテン・ジャズなどを聞いて育った。「常に歌うのが好きで、自分が一生の仕事としてやりたいことはわかっていた。」というマリオは高校時代にニューヨークのラガーディア芸術学院で音楽を本格的に学ぶ。卒業後、レコード会社とデヴェロップメント契約(育成契約)を結んだ時に作ったオリジナルのデモの一曲を偶然聴いたテディー・ライリーが、マリオの素晴らしい声と高い歌唱技術に惹かれ、当時制作中であったマイケル・ジャクソンの「Invincible」で彼をバック・ボーカルとして起用する。しかしその後シンガーとしてうまくいかず、9時から5時のいわゆるシンガーとしての生活から離れてしまう。夢を追い続けるも自分の道が見えなくなっていた時、彼はアメリカン・アイドルのオーディションを受けることを決意する。そして出場したオーディションで審査員はもとよりアメリカの視聴者を、スムースなダンス、音楽への情熱と愛情であっと驚かす。毎週目覚しく進歩し、視聴者の圧倒的な支持を集め、「優勝が現実のものになる!」と彼自身優勝に自信もあったが、アーティストとしての表現方法、創造性の相違で辞退してしまう。しかし後になってマリオ・ヴァスケスはこう語っている。

「アメリカン・アイドルには感謝しているよ。僕を人々に知ってもらうことができた。あの時は眠れない夜もあったしすごく辛かった。でも今だから言えるよ、あの時辞退したという僕の決断は正しかった。今はうまくいっているよ、Ne-Yoや数々の素晴らしい人達と仕事ができている。これからはアーティストとして、自分の目標に向かって進むのみだよ」と。