マリア(Jazz/France)
本作にまつわるエピソードは「マイ・フェア・レディ」のコンテンポラリー・ジャズ&ソウル風リメイクともいえる、超モダンで都会的で多文化的な、おとぎ話のような物語。永遠の物語「ピグマリオン」の21世紀バージョンが、発掘され花開くのを待っていた、型にはまらないありのままの才能という思いもよらぬ世界に広がっていく。



ことのはじまりは二十数年前のマラウイ。アフリカ東部にあるこの小さな国は、モザンビーク、タンザニア、ザンビアと国境を接している。マリアが6人兄弟の一員として生まれた当時、独立して間もないこの国には、イギリスのピューリタン文化の影響がまだ色濃く残っていた。アフリカ人の母親とイギリス人の父親を持つ彼女の家庭は、黒人文化と白人文化が豊かに溶け合った独自の家風をすぐに培っていった。躾は厳しくともハッピーで穏やかなごく普通の子供時代。外からの影響を殆ど受けなかった家庭の枠の中からは、外の世界への接触もあまりなされなかった。2局しかないラジオ放送は片方が現地語、もう片方が英語で、伝統的なアフリカの音楽ばかりを流していた。英語のポップ・ミュージックに関しては、特にビートルズは父親のレコード・コレクションがあったが、ルイ・アームストロングの1枚を除いて、ジャズは全くなかった。平たく言えば、音楽を生み出す環境では全くなかったのだ。また、彼女は幼い頃から歌を生業としていた訳でもなく、ただ周りの田舎道を自転車で駆け回ったり、木登りを楽しんだりしていた。しかし、幼い女の子たちのご多分に洩れず、生まれながらのダンスの才能や、エンタテインメントへの興味を持っていた記憶は印象に残っている。



その後1980年代後半、一家は政治的な理由でロンドンに亡命を余儀なくされ生活が一変。新しい世界は14歳のマリアにとって喧騒や活気に溢れていたが、反面冷たいところでもあった。思春期にありがちな悩みの数々を癒してくれたのは音楽だった。この頃ロンドンはニューウェーブのシンセサイザーの音に乗っていたが、マリアは時代の波に逆らい、サラ・ヴォーンやビリー・ホリデイなどのジャズの世界に足を踏み入れていた。これが啓示となり、彼女の人生を変えることになる。生きていることの痛みをあれほど陽気に歌う黒人女性たちの声に、彼女は何かしら普遍的なものを見いだしたのだ。または逆も言えよう。その時彼女は、いつの日か歌手になることを心に決めたのだった。



やがて彼女は自分の道を徐々に歩み始める。学校を卒業した後はウェイトレスの職を転々とし、その後バックアップシンガーとしてちょっとした仕事をするようになり、業界の水に慣れていった。それは少しずつ実を結び始めていく。彼女は独立し、作曲や伴奏を担当してくれるピアニストを探し、ミュージシャンたちを起用し、バーで唄い、ギグを取り付けるために何日も電話をかけ続けた。そんな生活を支えたのは本人の情熱と努力と自己投資だった。当時唄っていたのは主にバラード。テクニック的にもまだ発展途上で、独自のスタイルを模索していた頃だったが、荒削りながらも明らかに魅力的な声とパーソナリティを既に持っていた。



そんな状況だったほんの2年前、彼女はニューヨークのお洒落なレストランで、元気でポップなメロディにフランス語で唄われたジャズのハーモニーが乗った曲を耳にした。その時彼女はこう耳打ちした。



「私のやりたいことはまさにこれだわ。この曲をプロデュースした人とどうしても仕事がしたい」



それをきっかけに挑戦を始めたマリアは、曲のクレジット情報を入手する。歌い手はライアン・フォーリー、プロデューサーはアンドレ・マヌキアンだった。それが人生を変えることになろうとは、彼女はまだ気付いていなかった。ヴァージンに連絡を取りやっとのことでマヌキアンの電話番号を入手し、即座に彼に連絡を取った。そのただならぬ電話のことを、彼は今でも覚えているという。



「ボストンのバークリー音楽院を出てからかなり早い時期に、一緒に仕事をするのに一番自分に合っているのは女性ヴォーカルだと気付いたんだ。’80年代後半にライアンと組んだ経験から、洗練されたジャズの音域の中で特異な声の実験をすることに長けていた僕は、すべてやり尽くしたと思っていた。だけどあの娘の声を電話で聴いたとき、何か独特なものを感じたんだ。どんな娘か知りたいと思って、デモテープを送ってくれるように頼んだのさ。後日、ギター1本の伴奏で’40年代のスタンダードを歌ったカセットが届いた。最初の小節を聴いたときから背筋が震えたよ。あんな声は毎日耳にできるものではないからね。自分は何か特別なものを手掛けようとしているんだ、と思ったよ」



彼らはすぐに意気投合した。マヌキアンは自分がストラディヴァリウスを奇跡的に手にしたこと、マリアは自分を導いてくれるピグマリオンに出逢えたことを確信していた。



その結果がこのファーストアルバム。彼女を若手ジャズシンガーたちの第一線に一気に押し出す、見事なコレクションである。素顔を見せてくれる曲たちは一見シンプルで、時代を超越し非常にメロディック。ジャズをルーツに、特にコール・ポーターなど’40年代のスタンダードのスピリットを織り交ぜた曲たちには聡明で洗練されたアレンジが施され、音は非常にコンテンポラリー。強いソウルから控えめなエレクトロニック・リズムまで優雅にスウィングし、陰鬱になることなく全てを削ぎ落としてしまう。しかし何よりも強い存在感を放っているのはあの“声”である。控えめで落ち着いたたぐいまれなその声は、それぞれのフレーズの深層にある感情の中心に見事に染み入ってゆく。豪華絢爛さも哀感もなく、ただビリー・ホリデイやシャーリー・ホーンのように、物事の影の側面に光を当てようとする姿勢があるのみである。このユニークなアプローチを、アンドレ・マヌキアンはこのようにまとめている。



「マリアは作曲家にとって夢のような逸材だよ。ジャズ、ソウル、ゴスペル、何でも唄いこなすことができる。あの娘の声にはどことないはかなさ、どことない身近さ、そしてある種の寡黙さや無垢さがある。単なるテクニックをはるかに超越しているんだ。あの娘はメロディに対して文字通り単刀直入なアプローチをすることで、メロディ自体を純粋に保ちつつもそれ以上のものを生み出すことができる。歌を唄うときに全体が自己完結しているのがあの娘の秘訣さ。時代を超えたクラシシズムと最先端のモダンさがクレイジーにミックスされた存在なんだ」



このたぐいまれな声の独特の魅力を表現するのに、これ以上の言い様はないだろう。未来的なシンガーの声をご堪能あれ。