Kindred the Family Soul
 流行とは無縁のものがある。それは正直さ、誠実さ、真実、そして愛。そのような資質を心震える歌詞や豊かでソウルフルなメロディーとかけ合わせれば、キンドレッド・ザ・ファミリー・ソウルができあがる。「キンドレッド」とは、「血縁」を意味するもので、ファミリーを体現するような名前を求めた結果、命名された。「キンドレッドとはコンセプトなのよ」とアジャ。友人達や他のアーティスト達が共に成長し、発展していけるような、また10人もの人間が一度にステージに上がっていても、それを混乱ではく快適と捉えられるようなファミリー的な音楽生活を目指している。そんなキンドレッド・ザ・ファミリー・ソウルは2003年ヒドゥン・ビーチ・レコーディングスよりデビュー・アルバムをリリースする。



 シンガー/ソングライターであり夫婦である27才のファティン・ダンズラー(夫)と22才のアジャ・グレイドン(妻)にとって、音楽にメッセージは不可欠なものである。20代の彼らが、ギャンブル&ハフやテディ・ペンダーグラス等のR&B/ソウルのオリジネイター達や、現在のミュージックやジル・スコット等を生んだ音楽の豊穣な地、フィラデルフィアを拠点としていることを考えればそれも納得がいくことだろう。



 「僕達は音楽の虜なんだ。ジャンルを問わず、心の琴線に触れるような歌詞と力強いリズムを持った優れた曲なら誰でも感じることができるんだ。そこから何かを得ることもね」とファティン。



 業界のウォッチャー達には彼らが夫婦であり、パフォーマンスや作曲も手掛けることから、早くから現代版アシュフォード&シンプソンと絶賛されてきた。ファティンとアジャはその比較を光栄に思ってはいるものの、彼らはたんに夫婦デュオであるという点のみを強調するような目新しさだけではないところで評価して欲しいと言う。彼らは良い音楽を聴かせる、というところが肝心なのだ。



 「アシュフォード&シンプソンのような、長い間連れ添った偉大なソングライター達と比較されるなんて素晴らしいわ。でも、私達の個性の一つに、キンドレッド・ザ・ファミリー・ソウルを生み出した世代というものがあると思うの。それはR&Bだけではなくて、ジャズやヒップホップ、ブルース、フォーク・ミュージック、それにクラシックなロック・ミュージックをも消化しているような世代。そして、スライ&ザ・ファミリー・ストーン。私達はただ優れた曲が大好きな音楽ファンなのよ」とアジャ。「僕達の他にも、男女ペアだったり恋人同志のペアはたくさんいたんだ。ダニ-・ハザウェイとロバータ・フラックがそうだったし、ウ-マック&ウ-マック、レネ&アンジェラだってそうだし、タック&パティも。彼らのようなアクトからは大きな影響を受けてきたし、同時に彼らのことが大好きなんだ。それからシカゴとか、ムーディー・ブルース、それにスティーリ-・ダンも。僕達がクリエイティヴなインスピレーションを受けるのはひとところからだけではないのさ」とファティンが付け加える。アジャとファティンは二人とも、70年代の音楽をこよなく愛している。70年代のソウル・ミュージックを手中にするキンドレッドは、両親が聴いていた音楽を今この時代に投げ掛ける。



 その幅広い音楽性がヒドゥン・ビーチからのデビュー・アルバム『サレンダー・トゥ・ラヴ』の原動力となった。この夫婦デュオは自らの作曲能力とパフォーマーとしての実力を余すところなく発揮し、10人編成のバンドを引き連れたこのデュオが温かい、70年代の味わいを持ったヴァイブで、新世紀を迎えたソウル・ミュージックへの新しいレシピを提供する。彼らの音楽はファンキーであるのと同じくらいにロマンチックでもある。キンドレッドはロイ・エアーズやルーファス、アース・ウィンド・アンド・ファイヤー、ミント・コンディションそしてウォーのような先達を彷佛させる。しかし、過去に敬意を表しつつも彼ら自身の存在感を見せつけ、コンテンポラリーな刻印をしっかりと残しているのである。アルバム『サレンダー・トゥ・ラヴ』はソウル・ミュージック・ファンの必携盤となることは間違いない。



 喜びや痛み、または恋愛関係におけるアップリフティングなインスピレーションや人生がもたらす日々の苦悩から学んだ教訓を語りながらも、キンドレッドの音楽に対するアプローチは極めてフランクである。「いつでも何もかもがハッピーで最高、みたいな無邪気な感じにはしたくなかったの。全てのリレーションシップとは山あり谷ありの旅路のようなものだし、このアルバムは私達のストーリーであって、恋人達のための青写真ではないのだから。私達に起きた出来事をここで語りながら、いいことも悪いことも全て含めて表現したかったのよ」とアジャ。



 柔らかくも心に訴えかけるパーカッションの豊饒なリズムと絶妙なホーン・プレイに支えられ、ファティンとアジャの爽快なテナーとアルトのハーモニーを聴かせるとそこに生まれるケミストリーは後に続く音楽を支配する。時には、アジャはチャカ・カーンのような情感を湛えた力強いヴォーカルにミッド・テンポのグルーヴが絡み合い、また時にはチャック・ブラウン&ザ・ソウル・サーチャーズを呼び覚ましたようなファンキーなビートでリスナーを鼓舞する。



 キンドレッド・ザ・ファミリー・ソウルはフィラデルフィアの音楽的な歴史を愛好し、謙虚にその基盤に敬意を表している。その伝統を受け継ぎながらも、ファティンは自分達自身の歴史を築きたいと言う。「ここからさらに上にあがって、より強いものにしていくんだ。一生もののヒット・ソングを生み出せるように努力してかなきゃ」。デビュー・アルバムについては「ほとんどがフィラデルフィア周辺のプロジェクトになったよ。できるだけ多くの人間に関わってもらおうと思っていたんだ。」とファティンが語るとおり、フィラデルフィアの鉄壁の布陣ともいうべき、ジェイムズ・ポイザーやアンソニー・ベル、アンドレ・ハリス、ヴィダル・デイヴィス、ラリー・ゴールドといった面子がこの作品のために集結。「パーティーズ・オーヴァ-」ではフロー・ブラウンとマリク・B(元ザ・ルーツ)がラップで参加、「We」ではアーシュラ・ラッカーが、「サレンダー・トゥ・ラヴ」にはデビューしたばかりのヴィヴィアン・グリーンも登場する。究極とも呼ぶべき「ファミリー・ソング」はフィラデルフィア・コネクションのハイライトと呼べるものであろう。短いながらも彼らの根幹をなすメッセージが放たれたこのアカペラには、キンドレッドのもとへ、ビラル、ミュージック、ジル・スコット、アーリーズらが駆けつけて、素晴らしい同胞愛を歌い上げている。その他のいくつかのレコーディングはイヴァン・デュピーと共にシカゴで行われた。昨年の先行シングル「リズム・オブ・ライフ」、アルバムからのファースト・シングル「ファー・アウェイ」はワシントンDCのエリス・ペリーがプロデューサーとして素晴らしい音楽を完成させている。



 それこそがまさにキンドレッドの真の哲学- このムーヴメントにはファミリー的な価値観が深く根付いているのである。「私達の曲のインスピレーションは、このリレーションシップからほとんどもらっているわ」とアジャは言う。「堅固なリレーションシップにあれば、ラブ・ソングを作るのはさほど難しいことじゃないのよ。」ファティンは、「ポジティヴに、自分達のストーリーを話しながら、聴く人の心に伝わるようなリリックを歌うんだ」



 この作品、いわば彼らの「運命」が二人の前に姿を現わすまで、ファティンもアジャもソロとしてのキャリアを追い求めていた。10代の時、フィラデルフィア生まれのファティンはハイスクール・オブ・クリエイティヴ・アーツに通っていた(当時の同校には、ジャズ・オルガン奏者のジョーイ・デフランシスコ、ベーシストのクリスチャン・マクブライド、R&Bドラマーのリル・ジョン・ロバーツやザ・ルーツ、ボーイズ・Ⅱ・メン、アメール・ラリューのような錚々たる才能が在籍していたことでも知られている)。だが勉強よりも音楽に夢中だったファティンはやがて「近所の学校」へ編入させられることになった。年上の従兄弟と共に59丁目のジェファーソン通りにある家に暮らしながら、ファティンはオーヴァーブルック高校へ通学することに。その後、ザ・ルーツ回りの人脈と仕事を重ね、ジャジーファットナスティーズと共に当時R&Bミュ-ジックが全盛だったアトランタに移り、そこで以後5年の間経験を積んだ。ザ・ルーツのライターやプロデューサーの一員にもなった彼はペブルスやベル・ビヴ・デヴォー等の楽曲の共作したり、パーラメント/ファンカデリックと共にスモーキン・グルーヴ・ツアーにも参加していた。



 一方のワシントンDC出身のアジャは90年代の始め頃は「ポップ・プリンセスとしてスターダムに乗る」つもりでいたと言う。15才の時には既に、シンガー/ダンサー/女優であるブランディの対抗馬たり得るソロ・アーティストとして、デリシャス・ヴァイナル・レコード(トーン・ロック、ブランド・ニュー・ヘヴィーズ)と契約もしていた。16才で家を出たアジャはNYへ渡り、それからニュージャージー州のジャージー・シティ、さらにLAへと移り住みレコーディングを重ねていった。通信教育で高校を終了したものの、アルバムがリリースされることはなかった。アリーヤやブランディーのようなタイプを欲しがったデリシャス・ヴァイナルとは「袂を分れた」とアジャは言う。それに、成長した彼女にとって、綿菓子のようなラヴ・ソングにはもう興味は持てなかった。「もっとソウル・ミュージックをやりたかったの」。結局は未発表のままで終わってしまったアルバムのプロダクションを続けようと、ザ・ルーツの助けを借りた彼女は、そこでファティンを紹介されることになる…。



 彼らのストーリーをつなぎあわせたのは音楽と愛だった。時は訪れて、ザ・ルーツのニューヨークにあるロフトでリッチ・ニコルズの紹介で出会った二人は、その馴れ初めについてノスタルジックに思いを巡らす。アジャは「当時自分が22歳のときで、貴方は茶色いつばのベースボール・ハットに、ティンバーランドのスウェット・シャツを着ていたわ」。「ザ・ルーツのマネージャーに言われて一緒に曲を作るようになったんだ」とファティン。「その当時の曲は日の目を見ることはなかったけれど、友情が芽生えて、そこから一緒に演奏するようになって…それから結婚するに至ったのさ」。



 ファティンがアジャにプロポーズしたのは30丁目の駅だった。ワシントンへ帰るアジャの列車を待っている間のことだった。ファティンがアジャの母親と会った数週間後、二人はワシントンの駅舎にある店先で銀の結婚指輪を買ったのだった。「ダイヤモンドを買うような金は無かったんだ」とファティン。1998年の9月に結婚し、息子(アキル、現在2才)が誕生することを知った新婚の二人は、昼の仕事を続けながらも、音楽こそが彼らの進む道と信じて疑わなかった。「すべては時がもたらしてくれるんだ。僕らはこの道を別々に歩いてきたけれど、出会ってからいよいよ二人にとって何もかもが実現し始めたんだ」とファティン。ザ・ルーツのプロデュースを仰ぎながら、ファティンとアジャは発表されることのなかったアルバムのための曲を共に書き始めたのだった。ファティンが「スタート・オブ・ア・ビューティフル・アフェア」という曲を書いたことを思い出すと、即座に「あれはまるっきり私についての曲だったのに」とアジャ。「馬鹿よね、全然気付かなかったのよ」 そして、ファティンはその曲を今でも覚えているかとアジャに尋ねた。「愛とは何て優しいもの…」と彼女が歌い出す。なるほど、彼女はよく覚えている。



 また、このペアの息の合ったクリエイティヴ・スピリットがロマンティックな発展を遂げると、9時5時の仕事を選び家族のメンバーを増やしていこうとしていた新婚夫婦に新たな反応が起きた。ほどなく家電製品の営業の仕事を離れることを決意したファティンは、最も愛しているライヴにその力を傾けるようになる。「(ライヴ・パフォーマンスに)喜びと満足を得られるの」と6月には2人目の出産を予定しているアジャも同意する。フィリーの音楽シーンに復活したデュオは、ジル・スコット、ジャグアー・ライト、ジャジーファットナスティーズらのキャリアの出発点であるブラック・リリーのショーケースの常連となった。二人はザ・ルーツ、ビラル、ミュージック、ジル・スコットを輩出したフィラデルフィアのクリエイティヴなコミュニティの一部として、また彼らのサポーティング・アクトとして、その焼けつくようなライブ・パフォーマンスで聴衆を驚かせてきた。フィリー名物、オールド・シティのFive Spotで行われるブラック・リリーの常連達は、火曜の夜になればキンドレッド・ザ・ファミリー・ソウルが登場し、この小さいクラブを熱気と汗で充満させることをよく知っている。



 Five Spotの薄暗い店内にはドレッドロックスやクールでエスニックな装いの20代風の観客がごった返し、炉のように熱くなったその小さなクラブの中に響き渡る音楽に酔いしれながら彼らはところ狭しと飛び跳ね、すり減ったダンス・フロアは絶えることなく揺れ続ける。そして、トロンボーンやトランペット、サックス奏者、バック・シンガーと大人数のバンドでぎゅうぎゅうになったステージの上から、人生を共にするのと同じくらい自然にステージを共有し合ったアジャとファティンが熱心に群集を踊らせ続ける。確かにブラック・リリーは女性のためのイベントではあるが、いつもファティンはアジャと一緒だ。「ブラック・リリーに出演することについて多少モメたこともあったんだけど」とファティンは笑う。「でもそのうち俺が男でアジャが女であるということは大した問題じゃないってことに皆が気付いたんだ、そこに相応しい音楽があるかどうかが問題だ、っていうことになったんだ」。「そう、男女の違いとかは関係ないわ。だいたい私たちに最も大きな影響を与えてくれたアーティストの一人がフランキー・ビヴァリーは男の人なんだし。彼はいつもツアーに出ていて、人々もそんな彼を愛しているわ。そういう風な結びつきを私達も手に入れたいと願っているのよ」と語るアジャ。



 キンドレッド・ザ・ファミリー・ソウルは、演奏の全てを自己充足していた70年代のR&Bバンドのサウンドを臆することなく紡ぎ出す。アース・ウィンド&ファイヤー、パーラメント/ファンカデリック、ルーファス・フィーチャリング・チャカ・カーン、プレジャー、そして同郷フィラデルフィアのブレイクウォーター、のような。ホーン・セクションは合図に合わせてジェームス・ブラウンの「ヒット・ミー」をきっちりとタイトに決める。オリジナル曲やJB’sの「Doin' It to Death」、メイズ・フィーチャリング・フランキー・ビヴァリーの「We Are One」などのカヴァーを披露する彼らのセットが終了すると、ファティンとアジャのハーモニーに未だ興奮覚めやらぬ聴衆達の前へ司会者の女性が表れ、サウンド・システムを吹き飛ばしそうな勢いでこう言った。「ほらね、自然発火するって言った通りだったでしょ!」



 いうまでもなく、ブラック・リリー出演以降、彼らの熱狂的ファンの数は増加の一方を辿っている。インディア・アリーは、ローリング・ストーン誌の取材で、「キンドレッドからは今後目が離せない」と語る。最も熱心だったのは、2人の長年の友人ジル・スコット。ジルは、「彼らみたいなアーティストはそういないわ。歌詞、歌い方。愛情たっぷりに見つめあいながら歌ったりしているのよ。ソウルやハートから来る、彼らのような才能を信じているの」と語るほど彼らの魅力の虜になり、自身のレーベルであるヒドゥン・ビーチの社長スティーヴ・マッキーヴァーにキンドレッドをチェックするようにと働きかけ、引き合わせた。そして、彼はブラック・リリーのショウのことを振り返り、「“オンナに高級車”のようなありがちな音楽じゃない。彼らは我々の会社の使命と完全にフィットしているように思えました。ブラック・リリーは彼らを待つ観客でいっぱいで、ファンの基盤がしっかりしていた。フィリーからワシントンDC、NY、アトランタへと広がっていましたから。それにいまどきこれだけの人数のバンドが生演奏をするなんてそうありませんから。レコーディング中もライヴができるように、我々もサポートしてきました」と語る。さらに、ケニー・ラティモアやミュージック等の男性シンガーも大ファンだと公言してはばからない。



 メディアもこのフィラデルフィア・ベースのグループを目ざとく発見していた。フィラデルフィア・シティ・ペーパーはデビューする前から「2001年度ベストR&B/ソウル・パフォーマー」と評し、またVIBE、Savoy、Honey、Essence、Time Out New YorkそしてUpscale誌にもフィーチャーされたキンドレッドはUSA Todayの一面をも飾っている。さらに、Ebony、Sister 2 Sister、Philadelphia Magazineも特集している。



 それでも彼らは、ただ自分達のやるべきことだけに集中していた。契約を求めて必死に駆け回るようなこともしなかった。しかしものすごい迫力でライブ・ショウを盛り上げるというこのペアの噂はこのとおり嵐のように広まった。「皆が俺達を探しに来るようになったんだ」とファティン。でも、彼らはデモ・テープすら持っていなかった。アジャが素早く続ける。「"デモなんていいから、彼らに会わなきゃだめよ、早く行きなさいよ”なんて皆が急かすのよ。ブラック・リリーはアンチ・デモ集団なのよ。」 そしてヒドゥン・ビーチとの契約書にサインしたインクもまだ乾き切らない夜にその知らせを発表、キンドレッドのファン達は、やがて彼らのCDを家で聴けるようになることを知り、とても喜んだという。アジャは嬉しそうに、「私達がどこにいるのか、何をしているのか、次は何か、って皆が気にかけて見守ってくれているのは素晴らしいことだわ。」と感謝を語る。ファティンもレコードのリリースを嬉しく思いながらも、「バンドもずっと変わらないままでいてくれた」とライヴを続けることができた最愛の仲間に対して感謝を述べる。



 この騒ぎの実体とは? 彼らのもたらす豊饒で愛すべきサウンドとそのオーラを否定し難いからである。ジャンルの垣根を超え、革新的で音楽的な冒険心に満ちあふれたこのデュオは、ファティンが語るとおり、ジャズやR&B、ソウル、ラップ、フォーク、クラシック・ロックまでをも融合させ、それを10人編成のバンドを従えたライヴ・パフォーマンスで繰り出させる音楽にはまさしく“無条件降伏”せざるを得ない。



 そんなアジャとファティンの素晴らしい相性は、たんに彼らが結婚しているからだけでなく、互いに音楽を愛し、彼らが最高のものを世に送ろうとするゴールを共有しているところから来るものである。2年の制作期間を経て完成した『サレンダー・トゥ・ラヴ』は、「全体とは個々の合計よりも大きい」という諺を具現化している。「普通は誰も、女性の視点を歌っているのが私だと思うでしょうけど」とアジャがキンドレッド・ザ・ファミリー・ソウルの方程式について語る。「だけど私は私という人間を見せているだけ。ファティンという人間と私と、ふたりの個人がいるだけなの」 ファティンも同意して、「僕らはそれぞれ独自の気持ちや感情を持ったふたりの人間なんだ。それを世界と共有したいと思っているだけ。R&Bミュージックからは真実が抜け落ちていたんんだ。誰もが自分ではない他の誰かになりたがっている。僕らはそれだけはしないようにと心掛けているのさ」



 「新鮮だよ」 グウィネッド・ヴァレ-に拠点を置くプロデューサー、エンジニアであり、ザ・ルーツやエリカ・バドゥ、ジャジーファットナスティーズ、ディアンジェロ、パティ・ラベル、そしてキンドレッド等との仕事を重ねてきたデイヴィッド・アイヴォリーは言う。「ソウル・ミュージックの基本に立ち返ったような、伝統的なスタイルなんだ。より多くのオーディエンスとの間の溝を埋めることになるね」



 「これはリズム&ブルーズなのよ」とのアジャ。「ソウルなのさ」とファティンが付け加える。「ソウルっていうのは褒め言葉なのよ」とアジャが続ける。「もし誰かが貴方にはソウルがある、なんて言ってくれたら、それは評価されているっていうことなの」。



 今ではアジャはこう言い切る。「自分が心の底から信じるころのできる音楽を演奏し、道義に適ったことを言い、普通ならちょっと受け入れられないことをしたとしても、家族を養いながらレコードを売り、それと同時に人々の心に触れることは可能だと思うの。それに楽しくて仕方がないわ。」 スティーヴ・マッキーヴァーも「夫婦としてのキンドレッドには、彼らが表現するものと明らかな連結がたくさんあります。全てが意味を成しているし、そうでなければいけない。オーガニックでなければ、これまで彼らが築いてきたものを損なってしまうことにもなりかねませんから」とサポートする。



 キンドレッド・ザ・ファミリー・ソウルによって、ソウル・ミュージックの揺りかごであるフィラデルフィアが再び世界に新しい音楽をもたらした。過去の音楽を再構築したり創造性の領域を広げながら、多くのアーティスト達が躍起になって手に入れようとしている音楽に対する支配力を内包したキンドレッド・ザ・ファミリー・ソウルは、今後のネオ・ソウル・ムーヴメントにとっても頼もしい存在となるだろう。自在に自己表現出来るという能力をごく自然に持ち合わせ、初めての試みにもかかわらずそのクリエイティヴィティをこれほどまでにパワフルなプロジェクトへ費やすことのできた彼らのようなデュオはとても幸運だ。彼らに「自分達の音楽を一行で表すように」と訊ねると、二人は声を合わせてこう言った。「愛への降伏」。なるほど、もっともだ……。



 友達、恋人、夫と妻、親を超えた上にあるのがキンドレッド・ザ・ファミリー・ソウルである。「まだ始まったばかりよ」とアジャ。「だけど全ての出来事はそうなるべくして起こっているのよ」 ファティン・ダンズラーとアジャ・グレイドンは、色褪せることのない何かに新しい魅力を付け加えてくれる - その何かとは? ラヴ・アンド・ハピネス。