カーラ・ボノフ

 カーラ・ボノフ(1951年12月27日生)はカリフォルニア州サンタモニカ生まれ。1970年代から80年代にかけて、ウェストコースト・ミュージック・シーンを代表するシンガーソングライターの一人として日本でも当時のAOR人気全盛の中多くのファンを集め、現在に至るまで数多く来日公演も行っている。

カーラは1960年代後半にLAでシンガー・ソングライターのアンドリュー・ゴールド、ウェンディ・ウォルドマン、そしてリンダ・ロンシュタットのバック・バンド・メンバーだったケニー・エドワーズと結成したフォーク・ロック・バンド、ブリンドルで音楽のキャリアをスタート。その後ブリンドルのメンバーが参加していたリンダ・ロンシュタットの1976年のアルバム『風にさらわれた恋(Hasten Down The Wind)』に「またひとりぼっち(Lose Again)」「彼にお願い(If He’s Ever Near)」「誰か私のそばに(Someone To Lay Down Beside Me)」と自作曲3曲が取り上げられ、バックコーラスでもこのアルバムに参加したカーラの名前はウェストコースト・シーンで一気に広く知られることとなった。これをきっかけにソロ・アーティストとしてコロンビアと契約したカーラは、1977年にファースト・アルバム『カーラ・ボノフ』をリリース。ここに収録されていた「Isn’t It Always Love」が当時日本で人気上昇中だった竹内まりやがアルバム『UNIVERSITY STREET』(1979)でカバーしたこともあり、当時のカーラの日本での認知度と人気もぐっと増していた。

彼女のキャリア最大のブレイクは1979年リリースのセカンド・アルバム『ささやく夜』のヒット。折からのAORブームを追い風にこのアルバムとシングル「涙に染めて」は日本でも数多くオンエアされ、1980年には初来日。この時第9回東京音楽祭に招待されたカーラは「涙に染めて」で金賞を受賞している。続いて1982年リリースの『麗しの女〜香りはバイオレット〜』からのシングル「パーソナリィ」が全米トップ20に入る彼女最大のヒットとなり、日米での彼女の人気を確実なものにした。しかしその後80年代は映画『フットルース』のサウンドトラック盤に楽曲を提供する一方、インディ移籍後の4枚目のアルバム『ニュー・ワールド』はチャートインすることはなく、これ以降カーラはもっぱらソングライターとして、そして昔からの仲間達とマイペースで音楽活動を続けていくことに専念することになる。

それでも1989年のリンダ・ロンシュタットのアルバム『クライ・ライク・ア・レインストーム(Cry Like A Rainstorm, Howl Like The Wind)』に再びカーラの曲が3曲取り上げられ、そのうちの一曲、アーロン・ネヴィルとのデュエット「オール・マイ・ライフ(All My Life)」は全米で大ヒット(最高位11位)、その年の第33回グラミー賞で最優秀ポップ・デュオ/グループ部門を見事受賞。カーラのソングライターとしての才能に対する再評価が高まった。

これを受け90年代に入ると、カーラはブリンドルをオリジナルのメンバーで再結成、かつてリリースに至らなかったアルバムの制作を再開し、1995年に『ブリンドル』、2002年に『ハウス・オブ・サイレンス』と2枚のアルバムをブリンドルとして発表、往年のカーラを知る日本のウェストコースト・ミュージックやAORファンの間で静かな話題を呼んだ。2007年には自主制作でケニーやギタリストのニナ・ガーバーをバックにカリフォルニア州サンタバーバラでの公演を収録した初のライブアルバムをリリースするなど、再び活動ベースを上げていった。20年以上ぶりとなった2005年の来日公演以降は、2〜3年に1度の頻度で多くのシニアなファンが待つ日本に来てたびたび公演を行っている。2010年代に入ってブリンドルの盟友だったケニーとアンドリューが次々に他界したが、2018年には30年ぶりとなる新旧の楽曲を収録したオリジナル・アルバム『Carry Me Home』をリリースすると同時にその記念公演で2019年に来日。その健在ぶりを昔からの日本のファン達に披露してくれた。ジャクソン・ブラウンら同世代のウェストコースト系ミュージシャン達が相変わらず元気に活動する中、カーラにもまだまだ新作を届けて欲しいとファンは願っているに違いない。

 

ディスコグラフィ(カッコ内は原盤レーベル、- 以降は英米でのチャート実績)

1.主なアルバム

1977年  『カーラ・ボノフ(Karla Bonoff)』 (Columbia) – US 52位(ゴールド)

1979年  『ささやく夜(Restless Nights)』(Columbia) – US 31位

1982年  『麗しの女〜香りはバイオレット〜(Wild Heart Of The Young)』(Columbia) – US 49位

1988年  『ニュー・ワールド(New World)』(Gold Castle)

1995年  『ブリンドル(Bryndle)』(ブリンドルとして)(MusicMasters)

1999年  『オール・マイ・ライフ:ベスト・オブ・カーラ・ボノフ(All My Life: The Best Of Karla Bonoff)』(ベスト盤)(Columbia / Legacy)

2002年  『ハウス・オブ・サイレンス(House Of Silence)』(ブリンドルとして)(Longhouse)

2007年  『Live』(自主リリースライブ盤)

2018年  『Carry Me Home』(Not On Label)

2020年  『Silent Night』(Not On Label)

 

2.主なシングル(USAC=USアダルト・コンテンポラリー・チャート)

1978年    「I Can’t Hold On」- US 76位

                 「Isn’t It Always Love」

                 「Someone To Lay Down Beside Me」

1979年    「涙に染めて(Trouble Again)」(日本のみリリース)

                 「眩しい人(When You Walk In The Room)」

1980年    「Baby Don’t Go」- US 69位、USAC 35位

1982年    「パーソナリィ(Personally)」- US 19位、USAC 3位

                 「香りはバイオレット(Please Be The One)」- US 63位、USAC 22位

1984年    「誰かの愛が…(Somebody’s Eyes)」(映画『フットルース(Footloose)』のサウンドトラック盤より)- USAC 16位

1994年    「Standing Right Next To Me」(映画『エイト・セカンズ/伝説の8秒(8 Seconds)』のサウンドトラック盤より)- USAC 38位

*  USでは、アルバム・シングル共にゴールド=50万枚、プラチナ=100万枚の売上によりRIAA(アメリカレコード協会)が認定。いずれも2023年5月現在。