ジューダス・プリースト

1969年にイギリスのバーミンガムで前身となるバンド「FREIGHT」(イアン・ヒル、K.K.ダウニング在籍)を結成、後に「JUDAS PRIEST」に改名。1972年末に初代ヴォーカルのアル・アトキンスが脱退し、「HIROSHIMA」で活動していたロブ・ハルフォ-ドが当時イアン・ヒルと付き合っていた妹の紹介で加入する。インディペンデントのガル・レコードと契約し、1974年のアルバム『ROCKA ROLLA』でデビュー。

1977年にCBSレコード(現ソニーミュージック)に移籍、3rdアルバム『SIN AFTER SIN(背信の門)』でメジャー・デビュー。1978年に初来日。翌年の来日ではバンド初のライヴ・レコーディングを行ない、同年『UNLEASHED IN THE EAST(イン・ジ・イースト)』を発表。トム・アロムをプロデューサーに迎えて制作された1980年の6thアルバム『BRITISH STEEL』が全英チャート4位を筆頭に世界中でブレイク、ロブ・ハルフォード自ら"メタル・ゴッド"と宣言する。1982年の8thアルバム『SCREAMING FOR VENGEANCE(復讐の叫び)』では初の全米チャートTOP20入りと全米のみで200万枚を超えるセールスでダブル・プラチナを獲得するなどさらなる高評価と商業的な成功を収め、ヘヴィ・メタル・シーンの頂点に君臨する。

“第2のデビュー作”とも言われる1990年の傑作12thアルバム『PAINKILLER』の発表とそれに伴うツアーの終了後にロブ・ハルフォードが脱退、ロブはソロ・プロジェクト(FIGHT~2WO~HALFORD)での活動を行なう。後任にはティム“リッパー”オーウェンズが加入し2枚のアルバムを発表するも、2003年にロブ・ハルフォードが電撃復帰を果たす。2011年、“最後のワールド・ツアー”と銘打った<エピタフ・ツアー>を前に、オリジナル・メンバーのK.K.ダウニング(G)が脱退、新たにリッチー・フォークナーが加入し現在に至る。リッチー・フォークナー初参加となった2014年の17thアルバム『REDEEMER OF SOULS(贖罪の化身)』が全米チャート6位とその時点での全米におけるキャリア最高位を記録する。

2018年、オリジナル・メンバーのグレン・ティプトン(G)がパーキンソン病であることを公表する。メタル界に衝撃が走る中で発表した18thアルバム『FIREPOWER』は、当代随一のメタル・プロデューサーで現在ジューダス・プリーストのツアー・ギタリストとしても活躍するアンディ・スニープと、80年代のジューダス・プリースト全作品を手掛けたトム・アロムを30年ぶりに起用という驚きの二人共同プロデュースで制作され、アルバムは全米・全英チャートで共に5位と大ヒットを記録する(全米での最高位を更新、全英では『BRITISH STEEL』以来のTOP10入り)。2010年代に入って以降のバンドは新たな黄金期と言っても過言ではない好調ぶりを見せている。

2021年には延期されていた活動50周年記念ツアーを再開し、全カタログと未発表音源138曲を収めたCD42枚組のボックス・セット『50 HEAVY METAL YEARS OF MUSIC』を全世界3,000セット限定で発売。2022年に「ロックの殿堂」入りを果たす。2024年3月、デビュー50周年の節目を飾る19thアルバム『INVINCIBLE SHIELD』を発表、全英チャート2位と母国でのキャリア最高位を記録すると共に“後期プリーストの最高傑作“との高評価を獲得している。

レザー・ジャケットにスタッズ、ハーレーダビッドソンというヘヴィ・メタル・ファッションを世界中に浸透させたオリジネイターであり、ブリティッシュ・ヘヴィ・メタルそのものを象徴する存在、それがジューダス・プリーストである。