JAPAN
デヴィッド・シルヴィアン(ヴォーカル)とその実弟のスティーヴ・ジャンセン(ドラムス)、そして同じハイスクールに通っていたミック・カーン(ベース)を中心に1976年にロンドンで結成。まもなくリチャード・バルビエリ(キーボード)が加入し、さらにオーディションで獲得したロブ・ディーン(ギター)を加えた5人編成で本格的にバンド活動をスタートさせ、ヤードバーズやT.レックスなどの育ての親的存在だったマネジャーのサイモン・ネピア・ベルに認められ、彼のバックアップを得て、1978年3月にドイツを拠点としていたアリオラ・ハンザ・レーベルからシングル「パレードに雨を降らせないで」でデビュー。同年にデビュー・アルバム『果てしなき反抗』と続くセカンド・アルバム『苦悩の旋律』を発表。しかし、黒人音楽を独自の解釈で消化した“ホワイト・ファンク”ともいうべきサウンドは、当時のイギリスではまったく評価されず、逆に奇抜なルックスと奇妙なバンド名が引き金となって、デビュー当時から日本では人気爆発。日本ではデビュー・アルバム『果てしなき反抗』が、発売当日に1万5千枚以上も売れたという伝説も残されている。1979年3月の初来日公演では、いきなり武道館公演が実現している。

 その後、ロキシー・ミュージックなどを手がけたジョン・パンターをプロデューサーに迎え、3作目の『クワイエット・ライフ』(1979年)から、アート感覚溢れるモダン・ミュージックへ大きく方向転換。本国イギリスでも音楽的評価が高まるなか、バンドはヴァージン・レコードへ移籍。このヴァージン移籍後の『孤独な影』(1980年)と『ブリキの太鼓』(1981年)という2枚のアルバムで、本国イギリスやヨーロッパ全土でも人気爆発。しかし、その人気絶頂期の1982年に行われた世界ツアーの最終公演地となった同年12月の日本公演を最後にバンドは解散。その後、メンバーそれぞれが独自の音楽活動をスタートさせるが、1990年にデヴィッド・シルヴィアン(ヴォーカル)、スティーヴ・ジャンセン(ドラムス)、ミック・カーン(ベース)、リチャード・バルビエリ(キーボード)というオリジナル・メンバー4人が集まって、実質的にはJAPANの再結成といえる音楽プロジェクト“レイン・トゥリー・クロウ”を結成し、翌1991年にセルフ・タイトルのアルバムを発表。しかし、このアルバム発表後に再びメンバーは分裂し、その後はメンバーそれぞれが独自の音楽活動を続けている。今年4月にはデヴィッド・シルヴィアンのソロ来日公演も実現。また、昨年11月から12月にかけて、ヴァージン時代のJAPANの一連のオリジナル・アルバムとデヴィッド・シルヴィアンの一連のソロ・アルバムがすべてデジタル・リマスターされた新装盤で再発され、大きな注目を集めている。今回のアリオラ時代の再発盤も、そうしたヴァージン時代の新装盤に呼応する、すべてファン必携のアップグレード盤となっているのが大きな話題。