ホープ・オブ・ザ・ステイツ
HOPE OF THE STATES



Sam Herlihy (vocals, guitar, piano)    

サム・ハーリー (ヴォーカル、ギター、ピアノ)



Anthony Theaker (guitar, piano, organ)   

アンソニー・シーカー (ギター、ピアノ、オルガン)



Mike Siddell (violin)

マイク・シデル (バイオリン)



Paul Wilson (bass)

ポール・ウィルソン (ベース)



Simon Jones (drums)

サイモン・ジョーンズ (ドラムス)



James Lawrence (guitar) ★

ジミー・ローレンス (ギター) − 故人





威風堂々



ポップ・ミュージックが機械的に生産されては忘れ去られ、ロックがその意義を見失って後退してしまった時代にあって、前進すべき道を指し示しているのが“ホープ・オブ・ザ・ステイツ”だ。人々はレディオヘッド、コールドプレイ、シガー・ロス、モグワイといったバンド群と比較したがるが、彼らのデビュー・アルバムに収録された曲たちは従来のロックとは全く異なる。ヴァースとコーラスという形式をとらず、クラシック音楽のような構成の“ロック・ソング”なのだ。大音響のノイズが美しく崇高でほろ苦いメロディとなぜかうまく共存し、ギターの分厚い壁がトランペットとストリングスと調和している。まさに威風堂々とした壮大な音楽であり、無名のノイズ系のバンドから映画サウンドトラックまで、既存のあらゆる音楽を探しても、彼らと似た音楽は見つからないだろう。だが、おそらくそれ以上に注目すべきは、アルバム『The Lost Riots』が、心地よいサウンドとくだらないリリックばかりのソングライティング不況の年を横目に、ホープ・オブ・ザ・ステイツが鮮烈なメッセージを持つバンドだということを知らしめていることだ。



結成



ホープ・オブ・ザ・ステイツは2000年12月、チチェスターで結成された。この静かな町が生み出した初のバンドである。サム、アンソニー、ジミーは幼なじみ。ポールは、サムの前のバンドでベースを担当していた。サイモンは、「チチェスターのパブ・シーン」と本人が皮肉たっぷりに言う場所で知り合った仲間。小さな広告を見て参加した唯一の“新参者”は、バイオリンのマイク。だが彼もすぐに打ち解け、クラッシュやザ・フーのような、メンバー同士の絆が固く「世の中を敵に回した」バンドが生まれた。サムが言うように、このバンドにいれば 「メンバーのためなら命を賭ける」 という信頼感がある。この信頼感があったからこそ、2004年1月に起きたギタリストのジミーの悲劇的な死をも乗り越えることができたのだ。



命名/音楽

バンド名は、精神医学者アルバート・ドイッチが米国における精神病院の状況を叱責し、改革案を提示した論文に由来している。彼らは軍服を身につけてバンドの一体感を表し、人間が人間に対して行う残虐行為について,極めて含みのある語り方をする。音楽も、従来のロックのテーマだったセックスやドラッグ、反抗、リッチになってプールサイドで寝そべる…といった内容ではない。「この言葉は使いたくないんだけど、“幻滅”というのが大きな根底となっている。だけど、政治的ってわけでもない」とサム。ただ、何か言いようもなく、常に心がざわついている感じなのだ。「グラフで明確に説明できるようなものじゃないよ」。メンバー全員が感じている心のざわつきを、丁寧かつ見事に表現しているのが彼らの音楽。そしてそれが、どれも似たような寄せ集めのポップ・グループばかりの時代にあって、彼らが際立っている所以なのだ。



限定生産



2002年初頭、新設レーベル"SEEKER"から2,000枚完全限定EP「Black Dollar Bills」がリリースされると、メンバー手縫いの麻袋ジャケットに入ったこの7分を超えるナンバーは音楽業界を震撼させる'事件'となる。たちまちソールドアウト、NME紙は「新たなるポスト・ロック・ヒーロー」と絶賛、サンデー・タイムズ紙は「近年、最も注目すべきデビューシングル」と評した。戦火を逃げ惑う人々をアニメーションで描いたビデオ・クリップは、おりしも開戦となったイラク戦争の影響を受け放送禁止となった。



映像/装丁



間もなくして、この激しい怒りを秘めながらも美しい「音楽」が、イギリスでもトップ・クラスのライヴバンドによるものだということが知られるようになる。サムが「精神病的ロックンロール」と呼ぶ彼らの驚異的なライヴでは、人種間の大量殺戮や暴動、戦争の映像が映し出される。この映像を担当したのは、エド・エマーソンとマット・シモンズ(別名:Type2error/タイプ2エラー)。ホープ・オブ・ザ・ステイツの名誉メンバーであり、バンドが誇る全てのアートワーク、ビデオ・クリップやジャケット・デザインも彼らの作品である。「毎晩、同じ曲をプレイするだけじゃ物足りなかった」とサム。「ショーにしたかった。観客に “これは一体何なんだ?”と考えてもらいたかったんだ」



敵/友



2003年6月、ホープ・オブ・ザ・ステイツはソニーUKと契約する。その年の夏はライヴにさらに磨きをかけ、グラストンベリー、レディング、リーズの各フェスティバルに出演して、何千人もの新たなファンを獲得。初のヘッドライナー・ツアーもソールドアウトとなり大成功を納めた。続いて10月にリリースしたメジャー・デビュー・シングル「Enemies/Friends」は、ラジオでほとんど流れなかったにもかかわらず、UKチャートで25位に飛び込み、多くの熱狂的なファンがついていることを証明した。



録音



その後、バンドはレコーディングに集中し、アルバム『The Lost Riots』が完成する。2枚のシングルのサウンドに完全に満足していなかった彼らは、プロデューサーのケン・トーマス(シガー・ロス他)を起用し、ノブを調整してもらった。サムはこう話している。「すぐに僕たちのサウンドが出てきた。ケンは、何でもありという環境を作ってくれる。彼が僕たちとレコードを作るんじゃなく、僕たちが彼と作るんだ。ケンは必要に応じて、手綱を引いたり、緩めたりしてくれる。もう他の人とレコードを作るなんて考えられないよ」

バンドとケンは、レコーディングに最適な環境をあちこち探した末、アイルランドのグラウス・ロッジ・スタジオに引きこもった。8週間のうち、スタジオを出たのはアンソニーが一度だけ。「いい意味での閉所恐怖症」を経験し、バンドは自分たちの音楽に集中することができたという。「1日24時間、音楽のことしか考えてなかった」とサム。「ロンドンでレコーディングしてたら、色々気が散ってたと思うよ」

アイルランドでの期間が終わると、ピーター・ガブリエルのリアル・ワールド・スタジオへ移った。「最初の段階で集中できたのはすごくよかったけど、そろそろ気楽にやりたくなってたんだ」とサム。「外の世界に触れることで、レコードにもいい影響があり、アイデアがたくさん出てきた。細部にこだわって音を重ねていった“楽しい時期”だったよ」。大規模なストリングスや高らかなトランペット、そして他にも重要なタッチを加え、ホープ・オブ・ザ・ステイツは単なるギター・ロックから大きく飛翔していった。



悲劇



だが残念なことに、リアル・ワールドはいいことばかりではなかった。2004年1月15日、ジミーが自殺。このスタジオは、バンドにとって今後もずっと、ジミーを思い出させる場所となるだろう。ホープ・オブ・ザ・ステイツは、ジミー・ローレンスを、ロックにつきものの“破滅的人生”を歩んだとして神聖視すべきではないと言う。たしかに、ジミーには暗い一面もあった。だがそれは他のメンバーとて同じであり、ごく普通の若者が抱える以上のものではなかった。それどころかジミーは、映画『ウィズネイルと僕』のキャラクターの真似をして人を笑わせるのが大好きだったくらいなのだ。



詞世界



サム・ハーリーは、ジミーが亡くなる前に書かれたリリックを深読みしてほしくないとも言う。「そんなことは絶対に許さない。僕たちの曲は、どれも前向きな気持ちで歌ってきたんだ。勝手に深読みしたって間違ってるだけさ。なぜなら全部、出来上がった時点で完結してるんだから。今後、歌うたびにジミーと結びつけて考えていたら、僕は立ち直れないよ」そういうわけで、今ではこのアルバムの美しい代表曲「Don't Go To Pieces」(「世の中を見ると怒りに駆られるかい? でも心の優しい人も大勢いるんだよ、僕や君のように」)も複雑な印象を与え、痛切さが感じられるが、実はこの曲は、サムが父親と話しているときに思いついたフレーズなのだ。メッセージ性の強い「The Red, The White, The Black, The Blue」は、ナショナリズムから前進しようとする世界を歌っているようにもとれる。他にも、バイオリンを前面に出した一見陽気な「George Washington」や、雪に閉じ込められた中で自己不信に悩む姿が少々痛々しい「Me Ves Y Sufres」があって、意味は取り様によってどのようにも取れる。だが、決してジミーのことではない。



絶望/希望



このアルバムに収録された12曲は、緊張、激情、怒り、美しさ、感情のうねり、そして静けさという流れになっているが、どこか暗闇から抜け出して微笑んでいるような雰囲気がある。ロックが今もリスナーを挑発し、情報を与え、大いに興奮させうることを見せつけている。だからこそ、このアルバムは賞賛に値し、ブリティッシュ・ロック史上最高傑作のデビュー作として数えられるべきなのだ。