グレッグ・オールマン

デュアンとグレッグのオールマン兄弟はナッシュヴィル出身。デュアンの太く、深いスライド・ギターと、グレッグのゴスペルライクな歌声やソングライティング感覚を武器に、ブルース、ジャズ、R&Bなどを融合した独自の南部ロック・サウンドをクリエイトし始め、1969年にメイコンに本拠を置くキャプリコーン・レコードからファースト・アルバム『オールマン・ブラザーズ・バンド』をリリース。デュアン・オールマン(ギター)、グレッグ・オールマン(キーボード、ヴォーカル)、ディッキー・ベッツ(ギター、ヴォーカル)、ベリー・オークリー(ベース)、ブッチ・トラックス(ドラム)、“ジェイモー”ジェイ・ジョハンソン(ドラム)という、ツイン・リード・ギター、ツイン・ドラムにより71年に名盤『フィルモア・イースト・ライヴ』を発表するなど順調に活動を続ける。

71年10月にデュアンがオートバイを運転中、トラックに激突し、24歳の若さで他界。さらに72年、ベリー・オークリーもオートバイ事故によって亡くなりバンド存続の危機を迎えるが、73年にディッキー・ベッツのカントリー色を前面に押し立てた『ブラザーズ・アンド・シスターズ』が大ヒット。しかしながら、音楽的なすれ違いでバンド内に不協和音が流れ始めるようになり、76年、オールマンズは解散を発表する。やがてグレッグがディッキーに和解をもちかけ、78年、再結成が実現するものの、アリスタ・レコードの方向性とうまく折り合いを付けられないまま、82年、再びバンドは解散しメンバーはそれぞれのソロ活動に。

次なる再結成が実現したのはバンドがデビュー20周年を迎えた89年で、グレッグがソロ・アーティストとして所属していたエピック・レコードとバンドとしても契約。改めてトム・ダウドをプロデューサーに迎え、翌90年、『セヴン・ターンズ』を制作、オールマンズの新たな黄金時代が到来する。以降、オールマンズは慌ただしく離合集散を繰り返しながらもライヴだけでなく、スタジオ・アルバム制作も含めて着実に活動を続けた。毎年春にはビーコン・シアターで恒例のコンサート・シリーズを行なう。95年にはロックンロール名誉の殿堂入り。99年、デレク・トラックス(ギター)が加入したのをきっかけに、デュアン・オールマン在籍時代のブルージーなロックテイストを本格的に復活させた。

2000年になると、再びメンバー間の対立によりディッキー・ベッツが脱退に追い込まれ、穴を埋めるため、ウォーレン・ヘインズが再登板。デレクとウォーレンという新世代によるツイン・リード体制が誕生し、21世紀のオールマンズ・サウンドが確立したが、14年、ついにデレクとウォーレンが脱退。17年には、まず1月にオリジナル・メンバーのひとりだったブッチ・トラックスが死去。続いて5月にはグレッグ・オールマンが肝臓がんの合併症で他界し、オールマン・ブラザーズ・バンドは静かにその歴史に幕を閉じる。