デッド・プレズ

生年は不明だが発言から推測するとM―1/スティック・マンは共に28歳位。M―1はジャマイカで生まれ育ち、9歳の時家族と渡米してブルックリンに移住した。両親はもっぱら肉体労働で、相当な貧困を経験したという。地元の高校に通ったが、周囲には犯罪とドラッグが蔓延、友人の何人かもトラブルに巻き込まれて射殺された。彼の母も10年来のドラッグ中毒で、今なお服役中だという。こうした環境に嫌気が差した彼は、新天地を求めてフロリダに移住。ここでスティック・マンと出会う。スティック・マンは生まれも育ちもフロリダ州タラハシー。両親の離婚を経験後、何度も警察の厄介になりながら、M―1同様に荒んだ青年期を過ごした。その後、フロリダへ移ってきたM―1と運命的な出会いを果たし、意気投合。以来兄弟同様の関係となる。91年頃のことだ。ラッパーとしてはふたりともBDP/KRS・ワンからの影響を認めている。「地元のヒップホップがあんまり熱くなかったから、俺たちが熱くして行こうと思ったんだ」というから、出発時はほぼゼロからのスタートだったのだろう。そもそもベース・ミュージックがお盛んなフロリダのシーンで、自分たちなりのヒップホップを黙々と育んでいたわけだ。彼らが政治/社会に向ける視線の鋭さは、決して見せかけではない。M―1は「92年頃から社会運動に興味を持ち、シカゴへ足を運んでアフリカ回帰思想について学んで、さまざまな活動に参加した」と言う。



デッド・プレズはポスト・パブリック・エナミーとして比較の対象となるが、彼らはどう受け止めているのだろうか?



「比較される部分もあるとは思う。ラップという意味ではね。でも、俺らのやってることは啓蒙であって、物事に対しての新しい、良い結論を導かせるような働きをしているんだ。俺らは社会運動とコネクションがあるけど、パブリック・エナミーにはそういうところがない。政治的なイデオロギーは彼らとは全く違うと思う。音楽的には似てると言われても構わないけど、そこまでってことだね。もちろん彼らに影響は受けているよ。でも、俺らは彼らよりもっと凄い影響を与えられると信じているし、彼らがやり残したところから俺らが始めるってところかな」(M―1)