クラーク・テリー・アンド・マックス・ローチ
クラーク・テリー(Clark Terry)

1920年12月14日ミズーリ州セントルイス生まれ。40年代前半の頃からセントルイスのジャズ・シーンで頭角を現し、ハイスクール時代のマイルス・デイビスに多大なる影響を与えた。ライオネル・ハンプトン、ジョージ・ハドソンのバンドで演奏した後の47~48年をチャーリー・バーネット楽団、48~51年をカウント・ペイシー楽団、51~59年をデューク・エリントン楽団、59~60年をクインシー・ジョーンズ楽団で活躍。60 年には黒人として初のNBCTV のスタッフ・ミュージシャンに迎えられる。64~66年にはボブ・ブルックマイヤーとの双頭コンボで活動し、60年代末からは自己のビッグ・バンドも結成している。近年ではコンボ、ビッグ・バンドで活躍し、「マンブリング(ぶつぶつつぶやくという意)」という独特の歌い方で歌手としても高い評価を得ている。






マックス・ローチ(Max Roach)

1924年1月10日ノースカロライナ州ニューランド生まれ。4歳の時にニューヨークに移る。12歳のときからドラムスを始め、ハーレムの「ミントンハウス」や「モンローズ」でジャム・セッションに加わった。コールマン・ホーキンスのグループで43年にレコード・デビューを飾る。その後52丁目のクラブシーンでディジー・ガレスピーのコンボに参加、44−45年にはベニー・カーターのツアーに同行。またチャーリー・パーカーにも認められ、47−49年はパーカーのクインテットのレギュラー・ドラマーとして活躍。52年にはフリーランスとしてJATPに参加、欧州ツアーなどを経験。 54年トランペットの巨匠クリフォード・ブラウンと共に双頭バンド「ブラウン~ローチ・クィンテット」を結成し一時代を築く。しかしクィンテットは、ブラウンとピアニストのリッチー・パウエルの交通事故死という悲劇をもって解散。その後ドナルド・バード、ケニー・ドーハム・ブッカー・リトル、フレディ・ハバード等の有能な新人を自己のコンボに加えた。62年にアビー・リンカーンと結婚してからは黒人問題を取り上げた政治的な作品を発表するようになる。72年にパーカッションのみのアンサンブル、ウンブームを結成。また最新のコンボでは、しばしば弦楽四重奏とも共演している。