アンディ・ウィリアムス
アンディ・ウィリアムスは、1927年、アイオワ州に生まれました。音楽好きの父親の影響でウィリアムス家の4兄弟は教会で歌い始め、やがてウィリアムス・ブラザーズを結成しラジオ等に出演。好評を得たのに手応えを得た一家は、本格的な芸能界入りを目指してカリフォルニアへ移住します。1944年、ビング・クロスビーのレコーディングに起用されて共演し、このレコードはミリオンセラーとなる大ヒットを記録。ハリウッドでの活躍により、1946年、ケイ・トンプソンとのクラブショーを全米並びにヨーロッパに渡って行い彼らの評判は決定的なものになりました。後にアンディは彼女からショービジネスのみならず文化全般に渡って教えられたと感謝の言葉を述べています。1952年、ウィリアムス・ブラザーズは解散し、アンディはソロの道を歩むことに。1954年からTV番組『トゥナイト・ショー』に出演、57年発売「バタフライ」がミリオンを記録し、歌手としての人気を決定付けました。61年にはCBSとレーベル契約。映画『ティファニーで朝食を』のために作られアカデミー主題歌賞を獲得し、TV『アンディ・ウィリアムス・ショー』のテーマ曲としても有名な「ムーン・リバー」、62年映画『酒とバラの日々』の主題歌で再びアカデミー主題歌賞を獲得した「酒とバラの日々」など彼のキャリアを代表するヒットを放ちます。また、62年から始まった『アンディ・ウィリアムス・ショー』は、一度中断するものの71年まで続き、優れた音楽番組としてアンディはお茶の間の人気者になります。こうして順調を極めたアンディでしたが、76年に別れた元妻クロディーヌ・ロンジェが銃の暴発事故を起こした事によりそのキャリアに影を落とす事に。後に立ち直った彼はステージを中心に活躍。92年には自らの劇場、ムーン・リバー・シアターをオープンさせ、活動の拠点としました。
アンディ・ウィリアムスは、鋭い時代感覚を活かしその時々のヒットや新曲を積極的に取り入れ彼ならではの解釈と表現により歌に新たな息吹を吹き込みました。こうした彼のスタイルは時代や世代を超えて愛され、名作の数々を残す事になったのです。2011年、癌であることを公表し闘病生活を続けてきましたが、惜しくも2012年9月逝去。84歳でした。