【ミニ・バイオグラフィー】

2005年結成、カナダのトロア・リビエール出身。スカ・バンド、ギャンブラーズを核に結成された異色の経歴を持つエモ/ダンス・ロック・バンド。2006年にリリースされたセルフ・タイトルEPがSum41のプロデューサーとして知られているグレッグ・ノリ(Sum41, Iggy Pop, Autopilot Off, Hedly)の耳にとまりグレッグが代表の一人として運営するマネージメントBunk Rock Musicに所属、ソニー・カナダとの契約にいたる。ミキシングにデイヴ・レイヴ・オギルビー(Marilyn Manson, David Bowie, Tool, Nine Inch Nails)を迎え本国にて2009年5月に発売されたアルバム、『Lost In City Lights』のサポート・ツアーではデビュー直後にしてカナダ国内のフェスに多数出演し、ブラック・アイド・ピーズ、ケイティー・ペリーなど世界を股にかけるアーティストとの共演を果たすなど早速周囲の期待を体現するような活躍を見せている。またその後もシンプル・プランとのカナダ・ツアーに帯同し国内におけるファンベースを着実に増やし続けている。ポップ・エモの勢いと70年代ディスコ・サウンドの輝きを見事なまでに融合させた唯一無二のスタイルを持つザ・ニュー・シティーズは今まさに世界へ飛び立とうとしている。


【海外版オリジナル・バイオグラフィー】

センセ・ポップの時代を超越した味わいとモダンなパンクのダイナミクス、そして問答無用に体躍らせる近年のダンス・ロックの氾濫を強烈なまでにブレンドさせた、ザ・ニュー・シティーズはそのアーバン的革新の形をカナダのポップ・ミュージック・シーンにもたらすのを心待ちにしていた。彼らのファースト・シングル「デッド・エンド・カウントダウン」は2月にラジオ・サーブが始まり、フル・アルバムは5月にリリースされる。
「3年かかったけどすべてがしっくりきてるよ。」と語るニック・デニスはザ・ニュー・シティーズに2名いるキーボード・プレーヤーのうちの一人で主たる作詞者でもある。もちろんザ・ニュー・シティーズが着実にランクを上げてきていることをさした言動である。このケベック出身のバンドはプロデューサー/マネージャーのグレッグ・ノリとの幸運なタッグ、トロントでの手洗い歓迎、ソニーとの契約、ファースト・シングルがラジオにサーブされる前に既に話題を呼んでいたライヴ・パフォーマンスなどを試金石としての初めてのレコーディング、リリース、そしてツアーを敢行した。だが特にドラマーのフランシス・フジェールとベース/コーラスのジュリエン・マルトレがバンドに加わり鉄壁のロック・ラインアップになったことを考えれば、上記の引用はザ・ニュー・シティーズのサウンドが完成されたことを示唆しているとも取れるのかもしれない。「今は完璧なシナジーを感じているよ」
ザ・ニュー・シティーズの起源はトロア・リビエール(フランス語で3本の川を意味する)に由来する。モントリオールと州都ケベック市の中間にある小さいながらも活気ある街である。ケベック州最大の都市、モントリオールが世界的なポスト・ミレニアムの音楽的流行(アーケード・ファイアのことをさしている)に犯されていたとき、トロア・リビエールでは違った音楽が人気を勝ち得ていた。デニスと彼の仲間デイヴィッド・ブラウン、フィル・ラチャンスとクリス・ベルゲロンはギャンブラーズという名のスカパンク・バンドのメンバーとして地元の音楽シーンに加わっていた。「周りの友人たちがライヴをし始めたところから始まったんだ。それで高校のやつらがみんなライヴに行ってバンドを始めた。」とデニスは当時を振り返って語る。2005年に4人は地下室に集まり彼らの音楽キャリアの次のステージを目指し始めた。
ドクター・マーチンの革靴とチェック柄のサスペンダーに別れを告げた彼らは新たな風の到来を予感していた。「俺たちはデス・フロム・アバヴ1979やザ・フェイントのような音楽を聴き始めた。最初はそんな感じの音楽を目指していたんだよ。」後にヴォーカルになり当時はベースを担当していたブラウンはこう振り返る。「俺たちは全員長い間スカ・パンク・バンドでプレイしてきたし、キッズを躍らせるにはうってつけの音楽だった。俺たちはキッズを躍らせる音楽をやりたかった。でもそれはスカ・パンクとは違う音楽だった。」デニスはさらに付け加える。「始めたころはもっとインディーっぽいものにしようとしたけどある時点から何が一番うまくいくかに焦点を合わせるようになった。」
ザ・ニュー・シティーズがヴィーナス・スリー・フェイムのスティーヴ・ナダウ、プロデュースのセルフタイトルのEPをリリースした後、友人の一人がグレッグ・ノリとの間を取り持った。Sum41やヘドレーをプロデュースしたことで名を馳せた元トレブル・チャージャーのフロントマンである。そのときから状況が一変し始めた。ケベックの小さな町から出てきた6人組は目下のところ国の音楽産業の中枢であるトロントにある込み合ったオフィス兼アパートに移り住み数数え切れないほどライヴをこなし始めたのである。3ヶ月で15回のペースであらゆるライヴ・ハウス(ザ・ホースシュー、ザ・モッズクラブ、ボヴィーン・セックス・クラブなど)でライヴを続けた。「移り住んではじめて夢に一歩近づいてることを実感したんだ。最高だったよ。夢は実現できるって実感したよ。」とブラウンは振り返る。
ノリの指導のもとデビュー・アルバムに向けた取り組みが始まった。「彼は俺たちに限界を超えてほしいみたいだった。キーボード、ヴォーカル、ドラム、ギター、すべてにおいて次のステップに進むことを俺たちに求めた。彼は決して曲書いてきて、『お前らのサウンドはこうだ』って言うことはしなかった。でもすべてが彼の制御下だったよ。」とブラウンは語る。加えてミキシングはデイヴ・レイヴ・オギルビーが行ったのだ。マリリン・マンソン、デヴィッド・ボウイ、スキニー・パピー、ツールとナイン・インチ・ネールズという錚々たる面子を手がけた男である。「俺たちはエレクトロとロックをミキシングできる人間を探していた。ミキシング・エンジニアすべてがその術を知っているわけじゃない。でもこの男は知ってたよ。」
ザ・ニュー・シティーズは次の段階を今か今かと待っている状態である。既に彼らのハイ・エナジーなライヴはカナダで注目を浴びている。だがバンドはそれ以上の展望を持っている。デニスはフランス語圏であるケベックにおいてフランス語で活動を行う同胞やその中でも英語で活動するバンドの不安をこう代弁する。「ケベックのバンドにはケベックから一生出られないんじゃないかっていう精神性があるんだ。可能性っていうよりは途方もない夢のような気がしてくる。」だがそんな制限はザ・ニュー・シティーズには存在しない。レーベルとマネージメントにこう名言したのだ。「俺たちはカナダでライヴをするのが大好きだってことをはっきりさせている。でもそれ以上のステップへ進めるっていうのは素晴らしいことだと思う。」