ザ・ファッションの歴史は2003年のデビュー・アルバムよりもずっと前に遡る。ヤコブ・プリンツラウ(Vo.)、アンダース・フィン・アクセルセン(G.)、クリスティアン・リングネル・ベックホルム(B.)の3人は95年から共にプレイしてきた。3人は地元のデンマークはスベンボルのアンダーグラウンド・シーンで初めて出会い、ポスト・パンクやインディ・ロックの影響を受けながら、バンド名とスタイルを幾度か変え実験を繰り返してきた。



98年から01年の間はジョイフィルターというバンド名で、自主制作のレコードを数枚リリースし、数多くのライヴをこなしながら、確固たるファン・ベースを築き、その時期に現ドラマーのヤコブ・アンケアが加入する。彼の加入を機に、ジョイフィルターとして先に進むよりも、一からやり直すべきだとバンドは決断する。それがザ・ファッションの誕生だった。



ザ・ファッションが生を受けた数ヶ月後の2002年、バンドはまずは3曲レコーディンを行い、インディ・レーベルから、800枚限定でリリースされた。このCDは今ではコレクターズ・アイテムとなっている。そして偶然にもこのシングルを入手したメジャー・レーベル=BMGは早速バンドと契約をし、翌03年から1stアルバムの制作に取り掛かる。



2003年の9月、遂にデビュー・アルバム『ロック・ロック・キス・キス・コンボ』はリリースされた。このアルバムからは「レッツ・ゴー・ダンシング」「ローラー・ディスコ・インフェルノ」といったシングルがヒット。ラジオ・ヒットはもちろんのこと、自国のMTVやローリング・ストーン誌もこぞって絶賛。バンドはヨーロッパ・ツアーで多忙を極めるなか、04年に入ると曲作りに集中するためにツアーを一時止めることを決断する。



新曲の制作に取り組んでいるその間にも、彼らの評判を聞きつけたいくつかの海外レーベルからレコード契約のオファーを受けるが、バンドは次のニュー・アルバムに絶対の自信が持てるまでは海外デビューは時期尚早と決断する。



そして2006年に入ると、ニュー・アルバムの輪郭が彼らの中で出来上がり、その年の夏にFridolin(Outlandish、Moi Caprice)をプロデューサーに迎え、コペンハーゲンでレコーディングに入る。そうして出来上がった2ndアルバムは『ザ・ファッション』と名づけられ、2007年2月に本国でリリースされた。このアルバムからの1stシングル「レターズ・フロム・ジ・アンビュランス」は本国のラジオ・チャートで2位を記録。さらには、彼らのライヴ・パフォーマンスに感銘を受けたUSのレーベル、Epicがアメリカ・デビューを決断。来年の春にUSでのリリースが予定されており、ザ・ファッションの世界進出が今始まろうとしている。