ショーン・レノン最新オフィシャル・インタビュー公開!ジョンとヨーコの“ビューティフル・ボーイ”ショーンが語る、新作、相棒、業界、偉大なる父母への想いと葛藤。
ザ・クレイプール・レノン・デリリウム:ショーン・レノン最新オフィシャル・インタビュー公開!
ジョンとヨーコの“ビューティフル・ボーイ” ショーンが語る、新作、相棒、業界、偉大なる父母への想いと葛藤。
『アーティストとしての自分と、ジョンとヨーコの息子でいることを両立するプロセスというのは、一生かかるものなんじゃないかな。でも、自分が思いついた最善の解決策は、あまり心配しなさすぎないことだね。・・・自然体の自分から出てくるものに従えばいいんだ。そして自然体の自分から出てくるものというのは、明らかにビートルズやジョンやヨーコの影響が大きいんだ。それが僕の出自だからね』(ショーン・レノン)
【ショーン・レノン最新オフィシャル・インタビュー】
「時代への逆行が次の時代を創る」。ザ・クレイプール・レノン・デリリウムの約3年ぶりのニュー・アルバム『サウス・オブ・リアリティ』にあくまで一般的なキャッチ・コピーをつけるなら、さしずめそんな壮大な理想を掲げたフレーズになるだろうか。なぜなら、ここにはいわゆる現在のヒットチャートの上位を賑わせる、言わば昨今のR&Bやヒップホップのようなブラック・ミュージックの音作りを巧妙に取り入れるようなアプローチは皆無に等しいから。むしろ、そこから率先して外れていくかのような強い意志の力がボディブローのようにジワジワと届いてくる。けれどそれこそが、間違いなく次代を切り開く推進力になりうるのではないかと思う。確かにこれは今の時代の音ではない。では問いたい、果たして今の時代の音とは何なのかと。
音楽の聴き方、楽しみ方は間違いなくこの10年で大きく変わった。《Spotify》や《Apple Music》、《SOUND CLOUD》あるいは《YouTube》などでいきなり音源が発表される。それは楽曲単位であることが多いし、PVやリリック・ビデオの場合もあるだろう。作り手サイドとしてはミックスやアレンジが大幅に変わることを前提に発表することも許される…というか、そうしたプロセスを楽しむのが制作の醍醐味でもあるに違いない。だが、いみじくもそうした現場の大改革が我々にもたらしたものは、最先端の音というのはそもそも存在などしない、という厳然たる事実だ。ポップス最先端というのはあくまで幻想であり、逆に言えば、20年前、30年前、40年前に埋もれていた作品が10年後、20年後、30年後にヴィヴィッドに輝くこともありえる、ということである。
ザ・クレイプール・レノン・デリリウムとして壮大なクラシック・ロック再検証にトライしたようなショーン・レノンは、そんな奇妙かつ痛快な音楽ルネサンスを前にやや複雑な心境のようだ。今回インタビューに応じてくれたショーンはこう熱弁をふるう。
『ストリーミング・サービスについては、間違いなく複雑な思いがあるんだ。でもミュージシャンやソングライターの収入とかそういうのへの影響を無視したら、忘れてしまったら…(言葉を選びながら考える)…まず、音楽の聴き方におけるそういうルネサンスはナップスターから始まったと思うんだよね。突然、それまでよりうんと多くの音楽にアクセスできるようになった訳だからね。今はそれが再び起こっているような気がする。一層大きな現象としてね。音楽史のほぼすべてにアクセスを持つ世代というのができたんだ。その結果として、将来的にはクリエイティヴな意味での黄金時代(golden age)がやってくると思う。例えばイタリアのルネサンスは、ある世代のアーティストたちや知識人が多くの新しいアイデアに触れる機会を持てた結果だった。あれはアジアや他の国々との交易から生まれたものだったよね。本質的には科学への理解が急激に新しくなったことによって、最終的にはルネサンスが生まれたんだ。今の若者たちにも、アーティスティックな意味で同じことが起こると思う。これほどたくさんの曲に触れる機会があって育つと、音楽的に何らかのブレイクが起こるんじゃないかな』
果たして、ショーン・レノンとレス・クレイプールによるユニット=ザ・クレイプール・レノン・デリリウムの2作目となるその『サウス・オブ・リアリティ』は、そんなミュージック・ルネサンスとも言うべき近年の大改革を通じて、決して短くはないポピュラー音楽史を俯瞰して見渡したような作品とも言える。
『僕らはもちろん2人ともミュージシャンだけど、音楽へのアプローチの仕方が違うんだ。例えば…レスは大ベテランのミュージシャンで、史上最高のベーシストのひとりでもあり、ミュージシャン全体の中でも史上最高のひとり。僕にとって彼はまるでオリンピック級のアスリートだよ(笑)。オリンピックのランナーみたいなさ。世界のトップになるために筋肉を鍛えてきた人みたいな感じなんだ。だから彼とプレイするのは、レーシングカーを運転するようなものなんだよね。すごくパワフルなエンジンが付いているんだ。かたや僕自身は、自分のことを演奏家だって思ったことがないんだ。例えば、自分のことをギタリストだって思ったことはない。ピアニストとも思っていない。僕はただ、自分が曲を書くときに役立てるために色んな楽器を演奏しているだけなんだ。自分はただのソングライターだと思っているんだよね。頭もメロディ寄りというか』
レス・クレイプールはプライマスの中心人物として知られており、結成当時から卓越したベース・プレイが特徴だ。実際に、90年代のバンド全盛期はインタースコープから作品を発表しており、93年のアルバム『ポーク・ソーダ』はまさしくオルタナ時代を象徴する1枚として全米7位を獲得している。だが、一方でトム・ウェイツのアルバムに参加するなど交流を持ったり、フィッシュのトレイ・アナスタシオやポリスのスチュアート・コープランドと組んだジャム・バンド、オイスターヘッドとして活動するなどその音楽性の奥行きは、プライマスのゴリゴリにヘヴィー・ウェイトなイメージを軽やかに凌駕。ジョンとヨーコの“ビューティフル・ボーイ”であるショーンだけではなく、レスの方も音楽史を縦軸から横軸から捉える蓄積ある音楽家なのである。
『何しろレスは僕にとってのヒーローだからね。90年代にはプライマスをよく聴いていて、彼らの曲を聴いて育ったんだ。だから一緒に何をするのか見当も付かなかった。だけど彼は「一緒に何かヘンなことをやろう!今聴いているプログレバンドみたいなやつとかさ」なんて言っていた。だから何を予想すればいいのかも分からなかったけど、とにかくカリフォルニアの彼の家に行ったんだ。ファースト・アルバム(『Monolith Of Phobos』2016年)は2週間くらいですごく早くできた。レスはベースに向かって曲を書いているんだ。そして彼はベースの能力があまりにスペシャルだから、ベースとユニークで素晴らしい関係を作ることができる。彼はリズム的な知性がとても高くて、音楽的な知性もベースを介してとても高いんだ。彼が僕たちの曲にもたらしてくれるものは、僕自身には決してできないものだよ。だけど僕はハーモニーやメロディ的なものをもたらすことができる。それで僕に向かって「どうする?君は何がしたい?」って言うんだ。「このセクションにこのコードを入れてみるのはどうだろう。あのコードはどうだろう。このハーモニーは?」と提案してみる。それを彼は楽しんでくれていると思うんだ』
一方、ショーン・レノンが一人の独立したミュージシャンとして正式に登場したのは、98年にリリースされた『Into The Sun』。当時交流が始まっていたチボ・マットが全面バックアップ、ビースティー・ボーイズのレーベル=グランド・ロイヤルから発表…と、ブラジル音楽、フォーク、ソウルなどをヒップホップやDJ感覚の目線から捉え、90年代の時代の波を見事に追い風にして大きな話題を集めた。その後は決してリリース量は多くないものの、母親であるヨーコの活動やリイシュー・プロジェクトをサポートしたりしながら飄々と活動の駒を進めていく。こちらかと思えばまたまたあちら…と気の向くまま、本能のままに音楽表現、活動手段をチョイスするため、ある時期には《コーチェラ》で出会ったというガールフレンド、シャーロット・ケンプ・ミュールとのプロジェクト=The Ghost Of A Saber Tooth Tiger(THE GOASTT)で作品を出したりして、一体ショーンのアイデンティティはいくつあるのだろう? とめまいがしてしまうこともしばしばだ。
『はははは! 時々自分がマルチタスクでプロジェクトを抱えすぎているんじゃないかと思うことがあるんだ。複雑すぎるんじゃないかって。1つにフォーカスすればもっといい仕事ができるのかも知れないとも思う。実際そういう時期もあったんだ。「よし、このレコーディングひとつに専念しよう。他のことは数ヶ月間みんな忘れよう」なんてね。だけど問題なのは、僕がそうすると、正直言って…うまく説明できないけど、近視眼的みたいになってしまうんだよね。ひとつのプロジェクトにあまりに集中してしまうと、全体像が見えなくなってしまう。自分が何をやっているのか、もう分からない状態になってしまうんだ。時には曲を台無しにしてしまったり、台無しにしかねない判断をしてしまう。あまりに集中してしまうと、何て言うのかな、小さな箱に閉じ込められて大きな絵が見えなくなってしまうんだ。だから、自分はいくつかのプロジェクトをジャグリングしながらやっていくほうがいいものができるタイプなんだって分かった。そういう風にすると常に何かの骨休めをしている状態だし、別のことをやってから戻ってくると、全体像をより良く見ることができるんだ。大変なことではあるけどね。それに、僕が色んなプロジェクトを抱えていて、レスもまた色んなプロジェクトを抱えているからこそ、僕はピュアな気持ちでデリリウムにアプローチすることができるんだよ』
そんなショーンとレスによるこのザ・クレイプール・レノン・デリリウムだが、ニュー・アルバム『サウス・オブ・リアリティ』のリリース前、2017年にはカヴァーEP『Lime And Limpid Green』をリリースしている(今作の日本盤のボーナス・トラックとして収録)。ライヴでのパフォーマンスを通じてとりあげたものが中心で、中でも日本のロックの黎明期における伝説的バンド、フラワー・トラベリン・バンドの「Satori」には驚かされた人も少なくないだろう。そういえば、何年か前、当時のフラワー・トラベリン・バンドをプロデュースした内田裕也氏がツイッターでカヴァーの許諾の申請があった、というような内容をツイートしていた。
『ザ・クレイプール・レノン・デリリウムのファースト・アルバム『The Monolith Of Phobos』のツアーに出たとき…まず、アルバム1枚分しか持ち曲がなかったから、演奏する曲がもっと必要だったんだ。それで、大好きなバンドや、自分たちにインスピレーションを与えてくれた曲のカヴァーをやり始めた。最初にカヴァーしたのはキング・クリムゾンじゃなかったかな。…あ、もしかしたらピンク・フロイドの「天の支配(Astronomy Domine)」だったかも知れない。それから「Satori」をやるようになって、それがすごく楽しかったんだ。面白いのが、「Satori」は僕がレスに勧めた曲のひとつだったってことなんだよね。レスはフラワー・トラベリン・バンドを聴いたことがなくてさ。でも、レスは「Satori」をものすごく気に入って、EPの中でも特にお気に入りだと言うようになったんだ。それでこの曲のミュージック・ビデオも作ることにした。みんなが見たことあるか分からないけど、ジク(辻川幸一郎)という監督が作ってくれたんだ。コーネリアスのビデオをたくさん手がけている人なんだけどね。僕らはビートルズの「Tomorrow Never Knows」をやることもある。自分たちの一部になっている曲をやるようにしているから。僕たちの心の中にあって、大切にしているものはどんどんやっていきたいんだ』
無邪気にそうしたロック・レジェンドに向き合おうとするショーンに、「あなたがたはああいうロック・クラシックを、今、積極的にとりあげることで歴史を継承していこうというミッションを実感していますか?」と問うてみたところ、「もしかしたらそういう意識があるかもしれない」と謙虚に答える彼。しかしながら、結果として、歴史的に積み重ねてきたロック音楽の持つ強さ、美しさ、複雑さ、知性、野性などをこのユニットは体現していることに気づかされる。
『僕の父がビートルズにいて、僕の両親がジョンとヨーコだからこそだと思うけど、僕は自分の音楽がロックンロールのマスターたちの築いてきた歴史のどこに位置するかをできるだけ考えないようにしてきたような気がするんだ。もしそういうことに囚われていたら、そういうのにインスパイアされて音楽を作るなんてことは畏れ多くてできなかったかも知れない…だからあまり考えないようにしているというか…自分のバンドを何かと比べないようにしているんだ。昔、20年、30年前に未来を想像したときは、「これが僕たちの想像する未来だ」なんて思っていた。ものによってはインスピレーションにもなるし興味深かったりもするよね。テクノロジーとか科学とか。でも一方では奇妙でダークで超現実的な出来事も起こっているんだ。不穏なくらいにね。僕が話をする人々の大半は…アメリカだけじゃなくて世界中でそうなんだけど、奇妙なことが起こっているって言っている。世界は今本当に奇妙なところになっているような気がするんだ。だから、このアルバムの歌詞を書くのはある意味楽だったね。デリリウムの音楽にはぴったりの題材になりそうな出来事が多いから…デリリウムの音楽は、奇妙さと相性がいいような気がするんだ。世界がどんどん奇妙になっていくというのは僕たちにとっては大変なことだけど、デリリウムにとってはいいことかも知れない。曲がたくさん書けるからね』
ニュー・アルバムのリード・トラック「Blood and Rockets : Movement I, Saga of Jack Parsons – Movement II Too the Moon」はアメリカのロケット技術者ジャック・パーソンズをテーマに作られた曲。ジャックは有名なロバート・ゴダードやコンスタンチン・ツィオルコフスキー、ヴェルナー・フォン・ブラウンといったロケット技術者たちに引けをとらない研究成果を残した人物でありながらアレイスター・クロウリーの作った新興宗教に夢中になり、自身が築き上げた研究の資産をほとんど失い、ロケットのオフィシャルな歴史からも抹殺され、最後には若くして爆発事故で亡くなった悲劇の天才と言われている。なぜショーンはこのジャック・パーソンズを題材とした曲を制作したのだろうか。
『友だちに『Sex and Rockets』という本を貰ったんだ。ジャック・パーソンズの伝記本だった。僕は昔から科学、特に宇宙探索に興味を持っていてね。同時に、カルトの必要性についても興味がある。と言っても僕がカルトを信じている訳ではなくて、ただ魅力を感じるんだよね。この本は信じがたいストーリーでね。天才児が基本的に独学で液体燃料のロケットを飛ばす会社を作るんだけど、そのJPLという会社がのちのNASAになって、彼のテクノロジーのおかげで人間は月に行くことができた。だけどその一方で彼はアレイスター・クロウリーとセックスマジックにいそしんでいたんだ。クレイジーな話だよ(笑)。ドラッグを摂取して、砂漠のど真ん中でクレイジーな儀式をやってもいた。そういうクレイジーな話がいっぱいあったから、曲にしたらいいだろうと思ったんだ。彼は最終的には自爆しちゃうんだよね。僕は事故だと思うけど、本当のところは誰も知らない。化学実験中に爆発が起こったらしいんだけど。すごく奇妙な話だよね。だからこの本を読んだとき、これについて曲を書かずにはいられなくなったんだ。フル・スケールのロック・オペラを作ろうかなと考えたけど、結局それはやらなくて、1曲に収まったんだ』
ショーンの中では過去は未来となりえり、未来は過去ともなりうる。そして、それらが行き来するような奇妙な時間軸のズレのようなものに、おそらくショーンは創作の醍醐味を感じているのだろう。そしてそれは、ポップス最先端というのはあくまで幻想であるという、この文章の最初に書いた真理をアイロニカルに表出させる結果ともなっているのが興味深い。このザ・クレイプール・レノン・デリリウムの新作を、古臭い、今の時代の音ではない、と評する者がいたとして、では、そう評する作業は果たして最先端の行動なのかと問われれば全く違うだろう。それはあまりに泡沫的で刹那的な渋谷のスクランブル交差点でハロウィンに浮かれる行動が全く最先端ではないというのと似ている。
『「音楽は未来を変えることができますか」という質問があるとして、その答えは「イエス」でなければならない。例えば’60年代をとってみても、音楽は文化が変わっていく過程の一部だったからね。だけど問題なのは、当時変わったからといって今変えられるかということなんだ。もう一度起こりうることなのかどうか。僕には分からない…まず、その可能性は(’60年代より)低いと思う。というのも、例えば…ストリーミング・テクノロジーがあるから、音楽はもはや昔ほど価値のあるものとは思われていないんだ。例えば14歳のとき(ビートルズの)『Sgt. Pepper’s Lonely Hearts Club Band』をLPで買ったとする。LPはその人にとってものすごく貴重な物体だった。棚の埃をはらってそこにLPを飾って眺めて、触ってみて…もし家が火事になったらそれをがっと抱えて逃げるような感じ。でも今音楽は大抵の人にとって、タダで手に入るものになった。自分が大切にするような、価値のある物理的な物体も存在しないんだ。でも、シリアスなアイデアをドリーミーな音楽のコンテンツとして込めるというのには間違いなく先例があったと思う。「A Day In The Life」なんかもそうだよね。リラックスできるすてきな曲だけど、歌詞をよく読めば世界のクレイジーさが露になるというか。「信号が変わったのに気づかなかった」とか、なかなか激しい曲だよ』
思えばショーンの両親=ジョンとヨーコはそうした歴史の錯綜に挑み続けてきた。ジョンが『Rock'N' Roll』(1975年)というフィル・スペクターと組んだカヴァー・アルバムで歌う「Be-Bop-A-Lula」は果たしてロック黎明期に礼賛する行為だったのか? ヨーコの歌う「女性上位万歳!」はウーマン・リヴの時代を切り取ったものなのか? 答えは違うだろう。20年後に起こること、50年後に目の前に現れる事象である可能性を視野に入れたものだったはずだ。ショーンとレスがとりあげた「Satori」がただの40年前の曲ではなく、2060年の未来のリアリティであることも、たぶん彼らは気づいているのではないだろうか。
『アーティストとしての自分と、ジョンとヨーコの息子でいることを両立するプロセスというのは、一生かかるものなんじゃないかな。ある意味逃げ場がないというか。大半の人たちは僕のことを両親の文脈の中でしか見てくれないからね。僕のことを見て、僕のことだけを考えてくれる人っていうのはとても珍しいんだ。
それに対する僕のリアクションはというと、初期のアルバムをとってみても、声のオーバーダブはほとんどしていなかった。スタジオでそれをやると、自分的にはすごくいい音になるけど、みんな「Oh my god! お父さんそっくりになるね」とか「そっくりになっちゃうからだめだよ」なんて言われてしまうんだ。だから初期のアルバム数作は聴く気になれない。声の処理がしっくりこないし、僕には当時からひどい音に聞こえていたからね。立ち戻って考えてみても「どうして自分の声をいい音にしなかったんだろう」と思ってしまうんだ。父に似た声にしようとしているとか言われることを恐れて、やらなかったことを後悔しているよ。でも、やっと気づいたんだ。「声のオーバーダブは必要だ。いい音にするためにも」ってね。もっと力強い歌い方をしないといけない。その方がいい声に聞こえる。そりゃ人は「お父さんみたい」と言うかも知れないけど、それはどうにもならないことだから、とにかくやることだ。そう思うようになった。基本的に勝ち目はないんだ。いい声にしようとしたり、思い切り息を使って歌ったら父に似てしまうし、みんなにもそう言われてしまう。かと言ってそれをやらなかったらいい音楽にはならない。そういうことだよね』
ところで、『サウス・オブ・リアリティ』のジャケットのアートワークを担当しているのは日本人イラストレーターの安田尚樹氏。ジャケットの中でノミが宇宙を見ている、というシュールな絵柄は、facebookを通じて突然連絡をしてきたショーン本人による歌詞の世界観を描いたものだという。安田氏は「もともとプログレッシヴ・ロックが好きでロジャー・ディーンのジャケット・デザインを見ながら、イエスのレコードを聴くのが大好きだった。今こうして現代のプログレ的なクレイプール・レノン・デリリウムのアルバム・ジャケット・アートを担当し、このジャケットを見ながらファンの皆さんが想像力を膨らませながら音楽を聴いてもらえるかと思うととても光栄です。こんな機会を与えてくれたショーンとレスには感謝しています」と語っている。安田氏の仕事にもまた、歴史と時代の序列を軽やかに飛び越えて、その体系にいたずらに従うことのナンセンスがあると言っていい。
『自然体の自分から出てくるものに従えばいいんだ。そして自然体の自分から出てくるものというのは、明らかにビートルズやジョンやヨーコの影響が大きいんだ。それが僕の出自だからね。と言いつつ、この問題は完全には解決していないし、一生しないと思う。僕の両親の名声は素晴らしいものだから、それを忘れてもらうことを期待するのは無理だと思うしね。というか、通常はみんなそっちを先に考えるから。で、僕がラッキーであれば、その後で僕自身に対しての感想を持ってくれるかも知れない。自分が思いついた最善の解決策は、あまり心配しなさすぎないことだね。実は最近考えるんだ。どうして自分は音楽を作っているのか。そうしたら、あるフィーリングを得るために作っているということに気づいたんだ。自分が録音したものを聴いていて、それを気に入ると、そういうフィーリングになるんだけど…それはすごく難しいことなんだ。僕はたくさん曲を書くけど、聴き返してみて「何だかなあ…好きになれないなぁ」なんて思うことも結構ある。最終的に満足いくものができたときのフィーリングは、手に入れるのがすごく難しいことだけど、実際達成できたら本当にすてきな気分になれるんだ。それを自分は生き甲斐にしているんだなって思うよ』
ザ・クレイプール・レノン・デリリウムとしての来日公演はいまだ実現していない。歴史の彼方に、過去という大いなる誤解のもとに無理やり眠らされてしまったあらゆるロック音楽の息吹を、現在という、これまた不確かで幻想とも思える目の前の事象に映し出し、未来というもしかしたら過去かもしれない遠い明日に送り込む。そんなショーンとレスは、そもそも果たして2020年代も目前となった現時代の存在なのだろうか。
インタビュー・文/岡村詩野
協力:三船雅也(ROTH BART BARON)
岡村詩野
音楽評論家。『ミュージック・マガジン』『朝日新聞』『VOGUE NIPPON』などに執筆。京都精華大学非常勤講師、音楽ライター講座講師、FM京都『Imaginary Line』(日曜21時〜)パーソナリティ、音楽メディア『TURN』エグゼクティヴ・プロデューサー。
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TURN
インタビュー、レビュー、コラムなどで主に海外アーティストを考察する音楽メディア。エグゼクティヴ・プロデューサーは岡村詩野。若手編集者、ライター、デザイナーで構成されている。2017年夏ローンチ。
http://turntokyo.com/
TURNではこちらの特集記事も掲載中。ぜひご覧ください
*『ショーン・レノン、自身の創作欲求と出自を大いに語る!! ~ザ・クレイプール・レノン・デリリウムの新作は、サイケデリック全盛の時代より混沌の中にある現代で、高らかに鳴り響くサイケデリック・サウンド』
http://turntokyo.com/features/interviews-the-claypool-lennon-delirium/
*『愛すべき「人たらし」ショーン・レノンが音楽を作り続けることの意味』
http://turntokyo.com/features/features-the-claypool-lennon-delirium/