ザ・チェックス
ジェイコブ・モアー(drums)

カラム・マーティン(guitar)

スヴェン・ペターセン(guitar)

カレル・シャベル(bass)

エド・ノウルズ(vocals)



ニュージーランドのオークランド出身のこの5人がザ・チェックスを結成したのは彼らがほんの15歳の時。彼らは5歳のときから近所の友達同士。同じ学校に通い、クリケットをして、学校の聖歌隊にも加入する。ジェイコブにいたっては、2005年にチャンピオンに輝いたバーバーショップ・カルテット(男声の四重唱グループ)のメンバーだった。

そんな彼らが楽器を持ち寄って集まったときから何かが起こった。彼らは親の影響もあり、スクリーミン・ジェイ・ホーキンス、スキップ・ジェイムス、ビッグ・ビル・ブルーンジー、ブラインド・ウィリー・ジョンソン、ハウリン・ウルフ、ファッツ・ドミノ、サム・クックなどのブルーズや、ビートルズ、スモール・フェイセズなどのロックンロールを聴きながらも、ジャック・ホワイト、ザ・キングス・オブ・レオン、ザ・ストロークスなどにも影響を受けている。これらの多岐に渡る音楽的趣向が、荒削りで痺れる歌声を聞かせるザ・チェックスのブルーズ・パンク・サウンドの根底にある。彼らは最初クラスメートの前でビートルズなどのカヴァーをしたり、スーパーの前で路上演奏(15分で40ドル稼いだことも)をしたりしながら腕を磨きながら、その後クラブでギグをするようになる。

彼らのライヴはすぐさま話題になり、その素晴らしいギグに魅了されたファンは男女を問わない。15歳の時に行った2度目のギグでは既に会場は溢れんばかりの状況。そしてたった1枚の7インチ・シングルをリリースしただけで、ニュージーランド・ミュージック・アウォーズで“ブレイクスルー・アーティスト・オブ・ザ・イヤー”を受賞。

2005年、ザ・チェックスは大きな転機を迎える。まずは彼らの曲が雑誌の付録CDに収められ、それを偶然にもREMが耳にした。その曲とは「タイアード・フロム・スリーピング」のデモ・ヴァージョンだったが、その曲をいたく気に入ったマイケル・スタイプは2005年のREMのニュージランド・ツアーの際、個人的にザ・チェックスにサポートを依頼。この「タイヤード~」はたちまちREMのツアバスの中でヘヴィー・ローテーションとなり、なんとマイケル・スタイプは独自のアレンジを加えライヴで歌ったほどの気に入りよう。ザ・チェックスは若干18歳で世界最大のロック・バンドのサポートという大役を見事果たす。

ミュージシャン間の評判はとどまる所を知らず、今度はノエル・ギャラガーがオアシスのオーストラリア・ツアーをサポートするバンドとして、18組の最終候補からザ・チェックスを抜擢。その後、ザ・ハイヴスもジャパン・ツアーの際に彼らをサポート起用。

さらにNMEの編集者がオークランドに休暇で訪れたときに、偶然にも彼はとあるライヴ会場の外に若者たちが長蛇の列を作っているのを目撃。それがザ・チェックスだった。彼はこのバンドを今まで聞いたことがなく、チェックするつもりでライヴを観ることに。そして、そのライヴの素晴らしさに衝撃を受けた彼は、恒例のNMEニュー・ミュージック・ツアーにバンドをブッキング。

これら全てのことが2005年に起こり、デビュー前にこれだけ多くの貴重な経験をした5人は、遂にロンドンでデビュー・アルバム『ハンティング・ウェイルズ』をレコーディング。プロデュースを手掛けたのはリヴァプールの重鎮イアン・ブローディー(エコー&ザ・バニーメン、ペイル・ファンテンズ、アリソン・モイエット、ドッジー、シャック、ザ・コーラル、ザ・ズートンズ)。長年くじらに魅せられてきたフロントマンのエドは、“愛”と“くじら”はどちらも自分ではコントロールも支配もできないというメタファーを込めて、この「捕鯨」というタイトルを付けた。