エミリー・キング
ジャズ・シンガーとして国際的に活躍したイタリア人の母とアフリカ系アメリカ人の父を持つエミリー・キング(21)。彼女は幼少の頃から音楽とそれがもたらす困難と報酬に馴れ親しみ、常に両親のたどった道を自分も歩んでいくと信じていた。



The Beatles、NAS、Sarah Vaughan、Radiohead、Michael Jackson、Neil Youngなど、「今までに聴いた全てのレコードに私は影響を受けているわ」というほど、幅広いジャンルの影響を受けているエミリー。彼女は16歳で既にGED(高校卒業に相応する資格)を取得し、そして曲を書き始めた。冷酷な資本主義者を歌った、このアルバムのハイライトとでも言うべくトラック「ビジネス・マン」は彼女が最初に書いた曲。



「音楽はすごく革命的なものだし思うし、そうあるべきだと思う。だからそれを私の音楽では取り戻そうとしているの。もし曲を書くならラヴ・ソング以外のものを書きたいといつも思っていたわ。だって世の中には語るべきことがたくさんあるから」。



この若さで既に本格的なシンガーソングライターの片鱗を見せる彼女は、その後ギター一本を手に、Bitter EndやCBGB’s Galleryといった地元のNYのクラブでパフォーマンスをし始める。この頃からHIP HOPとその文化に強く惹かれ始め、それを貪欲に自分のスタイルに取り入れようとする。



そんな中、彼女はChucky Thompson(チャッキー・トンプソン)というプロデューサーに出会う。彼はNotorious BigやMary J. Bligeなどを手掛けた、バッド・ボーイ・エンターテインメントの名高いプロデューサー。エミリーは彼のプロダクション会社とさっそく契約を交わし、彼と共に彼女の幅広いテイストとスタイルに合ったサウンドを模索し始める。そしてデモ完成後にそれを様々なレーベルに送り、多くのレーベルによる争奪戦の結果、J レコーズと契約しアルバムの制作に取り掛かった。



このアルバムにはチャッキー・トンプソンをはじめ、Amy WinehouseやCresette Micheleを手掛けたSalaam Remi(サラーム・レミ)やUKのフィリー系デュオ=FloetryのMarshaなどが制作陣として参加。彼らはエミリーのシンガーソングライターとしての才能を、ソウルフルなヴォーカルとスムーズなR&B/HIP HOPのビートを完璧にブレンドすることに成功した。



まさにエミリー自身のバイオグラフィー的内容のこのアルバムには、ソウルとHIP HOPの融合の黄金率とでも言うべき、「ウォーク・イン・マイ・ショーズ」(ボーナス・トラックではLupe Fiascoをフィーチャー)、Bruce Hornsbyの「The Way It Is」を巧みにサンプリングした「オールライト」、そしてBill Withersの名曲「エイント・ノー・サンシャイン」のカヴァーなど、名曲ぞろいが収録されている。



特にエミリー自身最も思いいれのある曲は「カラーブラインド」だ。この曲は一番後に彼女が書いたものであり、黒人と白人とのハーフとして生まれ育った彼女の人生が最も直接的に表現されている。



「この曲は私が何者でどこから来たかを要約していると思う。そして私がしていることの背景にある情熱がどのようなものかを説明していると思う。つまりこの曲を私のバイオグラフィーにしたかったの。」