ブッカー・T.
ハモンド・オルガンB3の錬金術師、ブッカー・T・ジョーンズは全米一の多作で、著名で、音を聞けば誰もがわかる偉大なミュージシャンの一人である。そのジョーンズが贈る、アンタイ・レーベルより発売される新作『ポテト・ホール』は、彼の偉大な足跡に加わる一枚であるだけでなく、耳に障る多種多様のジャンルの音楽が溢れる中、忘れられがちなインストゥルメンタルというジャンルにスポットを当て、ジョーンズが得意とするようなソウルを満たす作品となった。

サザン・ロックの雄であるドライヴ・バイ・トラッカーズをバックに、ロック界のレジェンド、ニール・ヤングの時にオーヴァードライヴ気味に爆発的なリード・ギターが加わった、並外れた傑作である。わずか1週間というレコーディング期間で、7曲の新曲と3曲の趣深いカヴァーが収録されたアルバム、『ポテト・ホール』は、もはや伝説的とも呼べるブッカー・T・ジョーンズの長いキャリアの中でも、新たな絶頂期を捉えた作品となっている。

ジョーンズは言う:「また再び扉が開いたような気分なんだ。創造の女神が舞い降りてきてくれている気がするよ。まるで新たな作曲方法を開発したような、進むべき道がはっきりしたような気分で、音楽をプレイするということに心踊っているんだ」

アルバム収録の楽曲は幅広いセレクションであり、作品の一つ一つが全く違うムードを持ちながら、ジョーンズ印のグルーヴが通底している。宇宙的な広がりを感じる落ち着いた曲から、鶏の嘴の動きのように早いファンキーなスタッカートまで、ジョーンズの音楽的ヴィジョンは、解放的なアレンジを伴って届けられ、聞く者を魅惑せずにはいられない。しかしこのアルバムは、今までのジョーンズにはない新機軸も打ち出している。リード・トラックの「パウンド・イット・アウト」は非常なまでに力強いハード・ロックであり、緊張感と勢いのあるで、むせ返るようなソウルというよりは、頭を振り回して聞きたいヘッドバンガーになっている。

しかしもしそれを“らしくない”と感じているなら、それは本当のジョーンズ氏を知らなかった、ということであろう。「ずっとロック・ミュージックは好きだったさ」と彼は言う。「オーティス(・レディング)もそうだし、俺たちも昔ちょっとやってみたけど、昔はロックをやるような土壌が無かったんだ。スタックス向きじゃなかった」 “問題視されそう”どころか、青天の霹靂な発言であるが、彼はこともなげに言うのだった。彼の非凡なキャリアの中では、もっと多くの出来事があったに違いない。

1944年11月12日にメンフィス州テネシーで生まれたブッカーは、早くから音楽に興味を示していた。子供時代は教会でゴスペルを歌いながら、クラシカル・ピアノのトレーニングも積んでいた。ハモンド・オルガンB3に魅せられたブッカー少年は、新聞配達のお金をレッスン費用に当て、ティーンエイジャーになる頃には既にスタックス・レコーズに存在していた − 最初はアシスタントとして、その後すぐに正式なスタッフとなり、後にハウス・バンドのリーダーになった。ルーファス・アンド・カーラ・トーマス、オーティス・レディング、サム&デイヴ、エディー・フロイドといった錚々たるスターたちのバック・バンドを務め、レコーディングやツアーに参加し、キーボード、金管楽器からリード楽器までこなす彼の音楽性は多くの注目を集めた。

スティーヴ・クロッパー、ドナルド“ダック”ダン、アル・ジャクソンと結成したメンフィス・グループ(MGs)は、スタックス・サウンドの原型を作った存在であり、ポップ・チャートへとクロスオーヴァー・ヒットする作品を多数生み出していった。スタックスを離れたあとのジョーンズの経歴も、スタックス時代に負けず劣らず素晴らしいものであった ~ ボビー・ダリンからジョン・リー・フッカーまであらゆるミュージシャンと共演し、プロデュース業も多数こなした(中でもビル・ウィザーズの代表作 “Just As I Am” や、ウィリー・ネルソンのマルチ・プラチナ・アルバム “Stardust” などが有名であろう)。ジョーンズとMGsはその後もマディソン・スクエア・ガーデンで1991年に行われたボブ・ディラン・トリビュートのハウス・バンドを務めた(その際の共演から、今に至るジョーンズとニール・ヤングの親交は始まっている)。その間、多数の映画でスコアを作成し、1992年にはロックの殿堂入りを果たしている。

『ポテト・ホール』を聞けば、ジョーンズの才能や力が少しも衰えていないどころか、今まで知らなかった新しい引き出しを持っていたことがわかる。ジョーンズの作る楽曲はとても緻密に計算されて作られ、まるで目の前で起きているかのように、ストーリーが言葉も無くとも、旋律を通して伝わってくる。「パウンド・イット・アウト」では曲タイトル通りに力強く鍵盤を叩きつける姿が、「リユニオン・タイム」では家中に満ちる家族愛が、「ナン(ジョーンズの奥さんのこと)」では溢れる愛情が、そしてアルバム・タイトル曲でもある「ポテト・ホール」では奴隷制度により強いられた苦悩とそこから立ち直る姿が映画のような迫力で感じ取れるのだ(注:「ポテト・ホール」とは、居住空間の床に掘った、食べ物を隠しておくための穴を意味するアフロ・アメリカンのスラング)。

そのため、まるでジョーンズが歌詞をテレパシーで送ったかのように、なぜか曲にあわせて歌を口づさんでしまうことも多々あるかもしれない。ジョーンズ作でない曲(アウトキャストの「ヘイ・ヤ」、トム・ウェイツの「ゲット・ビハインド・ザ・ミュール」、ドライヴ・バイ・トラッカーズの「スペース・シティー」)ですら、彼の特徴である燃え上がるような、張り詰めたオルガン・ワークや、アフター・アワーのようなリラックスした雰囲気のアレンジを加わると、まるでブッカーTが長年演奏してきた曲かのように感じられてしまうのだ。

内省的な曲であれ、勢いのあるロック調の曲であれ、ジョーンズのアーティスティックな才能が前回で、全ての曲に通じる彼の演奏は息を飲むものがある。『ポテト・ホール』でのジョーンズは絶頂期を迎えているといっても過言ではない。ジョーンズは言う:「ハモンド・オルガンB3と俺の間には何か見えない力が発生するんだ。いつも自分の中にあるアイデア、頭の中では全部演奏できるのに実際にプレイしようとすると忘れてしまう曲 − それを今回は全部出し切ることができた。今までに感じたことのないような解放感があったね。60年代にMGsとそれに似た感覚を味わったことがあったけど、そのときはまだもやもやした感じだった。今回はもっとはっきりとわかったんだ。言葉でうまく表現できないけど、視力がすっかり元に戻った感じっていうのかな」