ウルトラ・オレンジ&エマニュエル
第1章【Emmanuelle Seignerエマニュエル・セニエ】

 祖父(ルイス・セニエ)は俳優であり、フランス国立シアター

“コメディー・フランセ”の第一人者、父は写真家、母はジャーナリストというアーティスト一家に生まれたエマニュエル・セニエのキャリアはモデルからスタートする。有名誌の表紙を飾るなどし、シャネルのCMにも抜擢されるほどの人気を得て、たちまちファッション・アイコンとなったエマニュエルは、ジャン・リュック・ゴダール監督作『ゴダールの探偵』で映画デビューを果たす。その後も錚々たる監督の作品に数多く出演しているが、彼女の名を世界的に知らしめることになったのは名匠ロマン・ポランスキー監督作/ハリソン・フォード主演の『フランティック』(88年)。ハリソン・フォードを惑わす謎の美女を好演。

 翌年、ロマン・ポランスキー(代表作に『戦場のピアニスト』『水の名のナイフ』『ローズマリーの赤ちゃん』)と結婚、2児を授かる。以降、ポランスキー監督の作品『赤い航路』(ヒュー・グラント主演)、『ナインス・ゲート』(ジョニー・デップ主演)に出演。特に『赤い航路』では、舌足らずな英語を話し年上の米男性を狂わすフランス少女を熱演、その妖艶なヌードを惜しみなく披露している。その後も、04年のヒット作『フレンチなしあわせのみつけ方』を含め多数の映画に出演、今年07年も複数の映画制作に関わっている模様。



第2章【ultra orange】

ピエール・エメリとジル・ルサージュにより90年代中頃に結成されたロック・グループultra orange。1996年にファースト・アルバムがリリースされると、メディアから幅広く賛辞を受けた彼ら。当時メディアから“ガービッジに対するフランスの返答”として称賛された。ファーストに続き発表されたセカンド・アルバム“Snow White”(2001年)とサード・アルバム“Seven Lonely Girls”(2003)も同様に大きな成功を収めている。



 Ultra Orangeがエマニュエル・セニエと出会い、友好関係を深めたのはまさにそんな時期だった・・・。



第3章【ultra orange & emmanuelle】

 2006年、ジルの勧めにより、ピエールとエマニュエルは南スペインにある家で、まず最初の曲にとりかかった。そのとき“特に何かをしたい”という狙いのようなものはなかったという。ただ彼らは音楽や曲作りにおける共通の嗜好性を分かち合っていたが、しだいにその接点が深まってゆく中で、新たな曲がまた一つ生まれ、そして気づけば数曲が出来上がっていた。その結果、スペインとフランスの2国で作り上げられた楽曲は、最終ミックス作業に入る以前に、非常にクオリティの高いロック・アルバム1枚分に匹敵する楽曲群となった。そして2007年3月26日、バンド名を冠したファースト・アルバムが正式にフランスでリリースされ、ほぼ同時にベルギー、オランダ、スイスでもリリースされる。