オフスプリング
Dexter Holland デクスター・ホーランド(vo/g)
Greg K グレッグK(b)
Noodles ヌードルズ(g/vo)
Pete Parada ピート・パラダ (dr) 

offspring ━━ n. (人や動物の)子; 子孫; 結果

よくある間違いの例(気を付けましょう)  Off Spring オフ・スプリング  オフスプリングス

【Biography】
◆1984年 
高校の同級生であるデクスターとグレッグが中心となり、カリフォルニア州オレンジ・カウンティにてバンド結成。マニック・サブサイダル(MANIC SUBSIDAL)と名づける。結成のきっかけは地元のパンク・ヒーロー、ソーシャル・ディストーションの強烈なライヴを見て。その後、学業とバンドを両立させていく。

◆1985年 
デクスターとグレッグの通う高校で働いていたヌードルズが加入。当初はギターの腕というよりも酒を合法的に手に入れることができる彼の能力(年齢)が必要とされた。その後グレッグの両親の家で練習を重ね、サン・フランシスコなどで初めてのショウを経験。

◆1986年
バンド名をオフスプリング(THE OFFSPRING)に改名。自分たちの手でEP『アイル・ビー・ウェイティング/ブラック・ボール』を1,000枚プレスし、自身のレーベル=BLACK LABELよりリリース。

◆1987年 
オリジナル・ドラマーが学業に専念するため脱退、代わりに当時16才だったロン・ウェルティが加入。

◆1989年 
1stアルバム『オフスプリング』をインディ・レーベル=NEMESIS/CARGOよりリリース。プロデューサーは初期南カリフォルニア・ハードコア・シーンの立役者と言われたトム・ウィルソン。

◆1991年
NEMESIS/CARGOより4曲入りEP『バグダッド』をリリース。プロデュースは、当時カリフォルニア・パンクの中心的バンドであったバッド・レリジョンのギタリスト、ブレット・ガーヴィッツ。このEPがきっかけとなり、ブレットが主催するインディ・レーベル=エピタフ(EPITAPH)と契約。

◆1992年 
トム・ウィルソンのプロデュースによる2ndアルバム『イグニション』をリリース。サーフィン、スケートボード、スノーボードのビデオにフィーチャーされ、その名がストリート・シーン及びボーダーの間で一気に拡がる。実際に、世界最大のスノーボード・コンテスト『キング・オヴ・ザ・ヒル』をはじめ、数多くのコンテストなどでプレイしまくり、ファン・ベースが出来上がる。結果、世界で100万枚を超えるセールスを記録。

◆1994年 
3rdアルバム『スマッシュ』リリース。プロデューサーは再びトム・ウィルソン。1stシングル『カム・アウト・アンド・プレイ』が、まず、MTVとLAのオルタナティヴ・ラジオ・ステーション=KROQでヘヴィ・ローテーションになり、一気に大ブレイク。1年間に200回以上ものギグを行ったワールド・ツアーや、『カム・アウト・アンド・プレイ』に続くヒット・シングル『セルフ・イスティーム』、『ガッタ・ゲット・アウェイ』が更に追い風となり、インディ・レーベルとしては空前の1,200万枚もの大ヒットを記録。同時期に大ブレイクしたサンフランシスコのバンド=グリーン・デイと共にネオ・パンク(メロコア)ムーヴメントを先導していく。

◆1995年 
1月、『スマッシュ』に伴うワールド・ツアーで初来日。この年、デクスターとグレッグが自身のレーベル=ナイトロ(NITRO)をスタートさせ、1stアルバム『オフスプリング』を初CD化し再発。また、ザ・ダムドのカヴァー『スマッシュ・イット・アップ』を『バットマン・フォーエヴァー』サウンドトラックに提供。

◆1997年 
ジェロ・ビアフラのお言葉で幕を開ける4thアルバム『イクスネイ・オン・ジ・オンブレ』をメジャー・レーベルのコロンビア/ソニー・ミュージックからリリース(ヨーロッパのみエピタフ名義でリリース)。プロデュースはジェーンズ・アディクションなどを手掛けてきたデイヴ・ジャーデン。アルバムに伴うワールド・ツアーで2度目の来日も果たす。

◆1998年 
夏から新作のレコーディングを開始。そして11月、前作に続きプロデュースにデイヴ・ジャーデンを起用し、5thアルバム『アメリカーナ』をリリース(全世界メジャー配給に)。ポップかつイルなアートワークはかのフランク・コジックによるもの。 1stシングル『プリティ・フライ(フォー・ア・ホワイト・ガイ)』が世界中で超ヒットし、続く『ワイ・ドンチュー・ゲッタ・ジョブ?』もヒット。それに伴いアルバムも異例のロング・セラーとなり、世界で約1,200万枚のヒットを記録。

◆1999年 
B級コメディ・ホラー映画『アイドル・ハンズ(IDLE HANDS)』にオフスプリング役で出演し、ラモーンズのカヴァーを2曲プレイ。セリフを一行話したあと、殺されてしまう。
ウッドストック30周年コンサートに出演。ステージ上で、当時人気最高潮といえるアイドル・グループ=バックストリート・ボーイズをバットでぶん殴るパフォーマンスで反響を呼ぶ。ぶん殴ったのはもちろんバックス本人たちではなく、ダッチワイフにメンバーの顔写真を付けた手作り(DIY)人形。9月に行われた3度目の来日公演では、そのバット・パフォーマンスに加え、ライヴ会場の2階席まで水が届くほどの“放水パフォーマンス”を披露。ただのパンク・バンドではない“エンターテイナー・オフスプリング”を強く印象づけた。
       横ノリ系&エクストリーム・スポーツと音楽とのコラボレーション・ビデオ&DVD『アメリカーナ』をインディでリリース。アルバム『アメリカーナ』が世界的に大ヒットし、世にメインストリームなバンドとしてのイメージをも与えたが、本ビデオ作品にはインディでしか出せないであろう手作りのヤバい映像から、クダらなくて笑える映像が満載で、オフスプリングのDIY精神・パンク魂をうまく伝えることに成功している。

◆2000年 
9月、新作からの1stシングル『オリジナル・プランクスター』をソニー・ミュージックの反対に合いながらも公式ウェブサイトで無料ダウンロード開始。同時に、前代未聞の「ダウンロードすると100万ドルが当たるチャンスが」キャンペーンも開始。「どのみちインターネット上に流されちゃうんだから、だったら自分たちでやってしまえばいいじゃないかと思ったんだ。オレたちはインターネットを恐れない。ファンにリーチするいい方法だと思うしね」とデクスターがコメント。尚、100万ドルは抽選で選ばれたファンにバンドのポケット・マネーから手渡された。

11月、プロデューサーにパール・ジャムなどで知られるブレンダン・オブライエンを起用しLAで制作した通算6作目となるアルバム『コンスピラシー・オヴ・ワン』をリリース。

◆2001年 
3月、4度目となる日本ツアーを行う。
      
8月、エクストリーム・スポーツと音楽&ライヴ・フッテージを合体収録したホームビデオ&DVD第2弾『ハック・イット』を今度はメジャー流通(ソニー・ミュージック)でリリース。

12月、ジャック・ブラック出演映画『オレンジ・カウンティ』サウンド・トラックに新曲『ディファイ・ユー』を提供。

◆2002年 
3月、最強のプロ・スケーター、トニー・ホークの“ブン・ブン・ハック・ジャム”でプレイ。他にBMXやモトクロスのトップ・プロも参加した。春ころ(?)、新作の曲作りに入る。

7月、プロ・サーファーたちにより設立された非営利組織“They Will Surf Again and Life Rolls On(サーフィンによる事故で脊髄を痛めたサーファーたちが再びサーフできるように治療法を探る組織)”の慈善コンサートにT.S.O.L.と出演。

8月、サマーソニック’03にメインアクトとして出演。その後、レコーディングを継続。その後、オリジナル・ドラマーのロンが脱退。

◆2003年 
2月、ラモーンズ・トリビュート・アルバム『ウィー・アー・ハッピー・ファミリー』に『あったまろうゼ(I Wanna Be Sedated)』カヴァーを提供。

3月、「オフスプリングの7作目となる新作は、なかなかリリースされないガンズン・ロージズの新作“CHINESE DEMOCRACY”をパロった“CHINESE DEMOCRACY(You Snooze You Lose)/チャイニーズ・デモクラシー(居眠りしてると負けちゃうぜ)"というタイトルになる模様」と報じられた。これに対してガンズのフロントマンであるアクセル・ローズの弁護士からこのタイトルの使用差し止め請求がオフスプリング側に出されたとのちに報じられる。しかしながらデクスターは「アクセルはオレの髪型(ブレイズ・スタイル)をパクった。だから今度はオレがヤツらのアルバム・タイトルをパクってやったのさ」と布告。というのは全てオフスプリングによるジョークであることがのちに発覚。

9月、ソニー・ミュージックにナイショで(?)ハワイの有名なプロ・サーファー・チーム“ダ・フイ”と共にアンダーグラウンド・サーフ・ビデオ『ダ・フイ』を自主制作し、全米のサーフ・ショップにバラまく。

10月、秋から始まるツアー・ドラマーの座に、元ロケット・フロム・ザ・クリプトのアトム・ウィラードが正式決定。

11月、再びプロデューサーにブレンダン・オブライエンを起用した7作目となるアルバム『スプリンター』リリース。脱退したロンの代わりにレコーディングでドラムを叩いたのは元ヴァンダルズ~ア・パーフェクト・サークルのジョシュ・フリーズ。

◆2004年 
2月、BURTON主催のスノーボード大会「NIPPON OPEN」とのコラボレーションを果たす。

7月、5度目となる日本ツアーを行う。通算6度目の来日。

11月、デクスターが『アナーキー・エアライン』と名づけた自身の保有するジェ   ット機を自ら操縦し、たったひとりで9日間に及ぶ北半球一周旅行に出る。  
給油とちょっとした観光のために成田を含むいくつかの都市に立ち寄った。
この計画は、パイロットを目指していた10代の頃からの長年の夢であり、9月11日のテロのため一度は暗礁に乗り上げたが、今回悲願の達成。「だいたいひとりで操縦して世界一周なんてことを考えること自体がおかしいって?でもそれってエベレストに登る人間が『そこに山があるからだ』とかって言うのとたいして変わらないんじゃないかなあ?(笑)」とコメント。

◆2005年 
6月、新曲「キャント・リピート(Can’t Repeat)」を含む初のベストアルバム、『グレイテスト・ヒッツ』をリリース。
      
8月、さらにエピタフ時代から最新ビデオまでを収録した映像ベスト『コンプリート・ミュージック・ビデオ・コレクション』をリリース。両タイトルをひっさげてワープド・ツアーに参戦。

◆2006年 
5月、日産 「X-TRAIL/エクストレイル」CMソングとして『(Can't Get My)Head Around You/(キャント・ゲッマイ)ヘッド・アラウンヂュー』が決定し、GWより放映がスタート。
      
6月、8thアルバムの制作開始。プロデューサーにボブ・ロックを向かえ楽曲作りに入る。
今までのアルバム制作ではアルバムに必要とされる曲数をあらかじめ完成させておき、プロデューサーを向かえスタジオに入るときには手直しをする程度だったという。今作では初めての試みとして2つのリフのみしか無い状況から、デクスターとボブ二人で曲を作り上げていった。

◆2007年 
引き続き曲作り&レコーディング作業が続く。曲作りのメインはボブ・ロックのスタジオがあるマウイ。
メンバーによると「観光地として有名なのは知ってるけど、ひどく退屈な土地だったね(笑)」
そんな中ドラマーのアトム・ウィラードが脱退。サポートとしてピート・パラダが決定。
       
8月、サマーソニック07のヘッドライナーとして来日。

9月、デクスターが出演する映画「PUNK’S NOT DEAD」が日本で公開。
       
9月、ダイノジ大地がフィンランドで開かれているエアギター世界選手権大会にて、史上2人目となる2連覇を達成。その際の勝負曲がオフスプリング「カム・アウト・アンド・プレイ」であった。

◆2008年 
1~4月、レコーディングも大詰めとなりマウイとハンティントン・ビーチ(オフスプリングの所有するスタジオ)の往復が続く。
       
5月、アルバムからのリード「ハンマーヘッド(Hammerhead)」がOA解禁、それとともに「ハンマーヘッド(Hammerhead)」無料配信を世界施策として敢行。日本でも5月5日こどもの日に実施。
   
6月、8thアルバム『ライズ・アンド・フォール,レイジ・アンド・グレイス』リリース。オリコン洋楽チャート1位を獲得。
       
6月、ツードッグス カクテル(お酒)のCMソング として「プリティ・フライ(フォー・ア・ホワイト・ガイ)」がTV放映される。
      
10月、アルバムに伴うクラブ・ツアー4都市11公演を敢行。


【オフスプリングの特徴・おもしろさ】
●高いストリート性&コア性とポップ性&キャッチーさをバランス良く併せ持つ音楽性
パンクのエネルギーを炸裂させながらも、何回聴いても飽きない良質なポップ・ミュージックとして機能している。
●はっきりいってインテリジェント。ウィットに富んだジョークとメッセージ性の強い歌詞
常にユーモアを忘れないオフスプリングは一見バカっぽく見えなくもないが、実はそこには辛辣な皮肉と強いメッセージが込められている

“PRETTY FLY(FOR A WHITE GUY)”(「アメリカーナ」収録曲)
他人の表面上のスタイルだけを真似て、そんな自分はかっこいいと思い込んでいる“ウォナビー”をおちょくった曲。タイトルは「白人にしちゃあフライ(*)じゃん」という意味。ギャングスター(ヒップホップ)のスタイルをマネさえすればかっこ良くなれる、自分はイケてると信じ込んでいる白人少年を題材にして、「“13”とタトゥーしてもらおうとしたら“31”と入れられた(*)」「アイス・キューブを買いに行ったら店になくてヴァニラ・アイスを買ってしまった(*)」「ホンモノっぽくしようとがんばっても、どうしようもない」などと歌っている。ビデオクリップでもこの少年は、ハデなアメ車(ロウライダー)の中から手を出して黒人に向かって「W」マーク(*)を嬉しそうにつくり、苦い顔をされている。もちろんそこには、独自のスタイルを持て、自分らしく生きろというメッセージが込められている。



(*)fly=黒人のスラングで「かっこいい」という意味
(*)13=黒人の間でイケてるとされている数字
(*)アイス・キューブはウェスト・コーストが誇る伝説的なラップ・グループ=NWA(ドクター・ドレー、イージーE、そしてアイス・キューブ)出身のラッパー。白人にも人気は高く、彼をリスペクトするファンは非常に多い。ヴァニラ・アイスは、リアル志向なヒップホップ・ファンからはイケてないとされている白人ラッパー。
(*)「東(海岸出身)」なのか「西(海岸出身)」なのかをこだわるヒップ・ホップの世界にあって、特に80年代後半~90年代頭に活躍したウェスト・コースト・ヒップホップの連中は、「west」であることを誇るために「W」マークを手でつくってみせた。

“MOTA”(「イクスネイ・オン・ジ・オンブレ」収録曲)
スペイン語のスラングで<マリファナ>を意味する“mota“と、<ダメな男>を意味する“mota boy”をひっかけている。アメリカにたくさん存在する、朝からマリファナを吸うばかりで何もしないロクでもないヤツらを皮肉っている。そこには何か生産的なことをしろよ、というメッセージが込められている。

“COOL TO HATE” (「イクスネイ・オン・ジ・オンブレ」収録曲)
何かを嫌うこと(ヘイト)はかっこいい(クール)という曲名どおり、「嫌い、嫌い」と言うばかりのヒネくれ者を皮肉っている。学校も嫌いで、自分と指向の違う存在は全て嫌い、何かを好きになるのは時間のムダ、前向きに考えることなんてダサすぎる、と歌う。

“ORIGINAL PRANKSTER”(「コンスピラシー・オヴ・ワン」収録曲)
世界的に大ヒットした“PRETTY FLY(FOR A WHITE GUY)”。実はアメリカの一部でアンチ・ヒップホップ・ソングとバッシングを受けてしまった。曲に込められた真のメッセージよりも、その表層だけを捉えて「ヒップホップへのアンチテーゼである」と受け取られたことに対しての、オフスプリングからのアンサー・ソングとしての一面をも持った「オリジナル・プランクスター」。プランクスターは「いたずらっ子」という意味。タイトルは「オリジナル・ギャングスター」をもじったところからきており、また、この曲には人気ラッパー=レッドマン(*)が参加している。ロック・バンドとラッパーとのコラボレーションが盛んになってきて、誰もがラッパーはラップするものと思うわけだが、ここではレッドマンは全然<ラップ>していない(“オリジナル・プランクスター“と歌うだけ)。おそらくオフスプリングはそんな風潮をもおちょくっている。大ヒットしたアルバムの次を作ろうとしたとき、プレッシャーに押しつぶされてシリアスになりすぎるバンドも多い中、常にユーモラスで余裕をカマす。そのへんもオフスプリングの魅力のひとつと言えるのだ。
(*)レッドマンはデフ・ジャムを代表する人気ラッパーで、「オリジナル・プランクスター」のビデオ・クリップにも登場している。

●大胆不適。パンク魂(反体制的、DIY精神、悪ガキ性)はビッグになっても変わらない。
エピソード0:1999年、ウッドストック30周年コンサートに出演。ステージ上で当時人気最高潮といえるアイドル・グループ=バックストリート・ボーイズをバットでぶん殴り反響を呼ぶ。ぶん殴ったのはもちろんバックス本人たちではなく、ダッチワイフにメンバーの顔写真を付けた手作り(DIY)人形。「あんなものは虚栄さ」と冗談コメント。

エピソード1:前作「コンスピラシー・オヴ・ワン」がリリースされた2000年といえば、ナップスターなど、音楽ファイル交換サイトに対しての音楽業界全体の危機感が一気に高まった年。しかしオフスプリングは「オレたちがバンドを始めた当時、みんなにカセットをばらまいていたのと方式が変わっただけだ」とナップスター指示を表明。宣伝用オフィシャル・アーティスト写真に、フロントマンのデクスターはナップスターのTシャツを着て写っていた。

エピソード2:「コンスピラシー・オヴ・ワン」からの先行シングル「オリジナル・プランクスター」を、シングル発売の1ヶ月以上前に公式ウェブサイトwww.offspring.comで無料ダウンロード可能にした(ソニー・ミュージックの反対を押し切って)。しかも「ダウンロードしたアナタに100万ドルがもらえる権利が」というキャンペーンを実際にやり、その100万ドル(約1億2千万円)は、抽選で選ばれたファンにバンドのポケット・マネーから手渡された。

エピソード3:「アメリカーナ」からの2ndシングル “Why Don’t You Get A Job?”がビートルズの “Ob-La-Di Ob-La-Da”に似ているのではないか?とイギリスのプレスに指摘されたとき、デクスターは「ビートルズをパクったりなんかしていない。オレ達はオアシスをパクったのさ」とコメントした。

エピソード4:最新作「スプリンター」収録曲“Da Hui”のサーフ・ビデオを自分たちで(ソニー・ミュージックに内緒で)勝手に作り、自分たちの手で世界のサーフ・ショップにバラまいた。

エピソード5:最新作(「スプリンター」)のタイトルは、事前に「チャイニーズ・デモクラシー」になる、と報じられていた。「チャイニーズ・デモクラシー」はガンズ・アンド・ローゼスが新作につけようとしているタイトル。デクスターは「(ガンズの)アクセルはオレの髪型(ブレイズ・スタイル)をパクった。だから今度はオレがヤツらのアルバム・タイトルをパクってやったのさ」とコメント。