TLC
 アイオワ州出身のT-BOZ(本名ティオンヌ・ワトキンス)、フィラデルフィア出身のLEFTEYE(リサ・ロペス)、そしてCHILLI(ロゾンダ・トーマス)の3人組。グループの名前は3人のニックネームの頭文字をとったもの。1992年、スーパー・プロデューサー・チーム、LA&ベイビーフェイスが設立したレーベル、LAFACEからシングル「AIN’T 2 PROUD 2 BEG」でデビューし、いきなり全米チャートトップ10入りするヒットを記録し、シングルはミリオン・セラーとなった。続くセカンド・シングル「BABY BABY BABY」は全米チャート2位、R&Bチャート1位となり、再びミリオンセラーを記録、後の音楽シーンに多大な影響を与える名曲となる。その後も「WHAT ABOUT YOUR FRIENDS」などのヒット曲を連発、デビュー・アルバム『OOOOOOH…..ON THE TLC TIP』は全米で500万枚以上のセールスを記録、日本でも目にコンドームの袋をはめる奇抜なファッションなども話題となり、20万枚のセールスを記録し、新人としては異例のデビューを飾る。

 1994年末、セカンド・アルバム『CRAZYSEXYCOOL』をリリース。シングル「CREEP」は全米チャートで4週連続1位を記録、セカンド・シングル「RED LIGHT SPECIAL」も全米チャート2位となるヒットとなる。しかしTLCの人気がさらに爆発するきっかけとなったのがサード・シングルの「WATERFALLS」で、「派手なものを追いかけていないで堅実に生きよう」と歌ったこの歌は、SFXを駆使したビデオも話題となって全米チャート7週連続1位という大ヒットを記録、日本でもラジオなどでこのシングルが大ブレイクし、アルバム『CRAZYSEXYCOOL』は全米で1,000万枚以上のセールスをあげ、女性グループとしては史上最高のセールスとなった。日本でも女の子たちの憧れの存在として大ヒットを記録、その後のR&Bシーンを大きく変えるアルバムとなり、数多くの日本人アーティストたちにも影響を与えるグループとなった。

 1999年サード・アルバム『FANMAIL』をリリース。ファースト・シングルとなった「NO SCRUBS」は全米NO.1に輝き、いわゆるダメ男バッシングという社会現象をうみ出すにいたった。続くセカンド・シングル「UNPRETTY」も全米NO.1となり、アルバム『FANMAIL』は全世界で1000万枚以上のセールスとなり、日本でも100万枚というセールスを記録した。1999年夏には壮健美茶ナチュラル・ブリーズ・コンサートで来日、ラッキーなファンにそのパフォーマンスも披露。全米をまわるFANMAILツアーも実施した。

 2001年にはリサ・レフトアイ・ロペスがソロ・アルバム『SUPERNOVA』をリリース。2002年に入るとTLCとして4枚目のアルバムのレコーディングをスタートさせる。そんな最中の2002年4月、リサ・レフトアイ・ロペスが南米ホンジュラスで交通事故により他界してしまうという悲劇が襲う。しかし、T-ボズとチリはレコーディングを続行、レフトアイがすでに録音していたパートもふんだんに取り入れて、ついにTLC3人としてのアルバム『3D』を完成させた。