シュガープラム・フェアリー
ヴィクター・ノレン(ヴォーカル/ベース/パーカッション)

カール・ノレン(ヴォーカル/ギター)

デイヴィッド・エベール(ベース/キーボード)

クリスチャン・ギドランド(ドラムス)

ヨナス・カールソン(リードギター)





甘酸っぱい青春。駆け抜けるロックン・ロール。



シュガープラム・フェアリーはスウェーデンで2004年4月、バンドのキャッチーなサウンドを前面に出したEP、『Stay Young』でデビューした。12分のレコードに収録されている新感覚の4曲。特にタイトル・トラックの「ステイ・ヤング」はここ日本でもフロアの定番になるに違いない。ここまでストレートに向かってくるロックン・ロールの気持ちよさ。ちょっと忘れちゃってませんでしたか?しかし、その4曲入りのEPはほんの手はじめにすぎず、ここに堂々登場するのが最高にポップなデビュー・アルバム、『Young & Armed』。本国スウェーデンでのファースト・シングル「Sweet Jackie」もラジオで上々の滑り出しを見せ、チャートも急上昇中だ。



シュガープラム・フェアリーはスウェーデンのボーレンゲ出身の5人組。地元でライヴを観た人なら誰でも、彼らがすべての要素を持っていることを知っている。曲よし、魅力あり、才能あり、ユーモアあり、そしてめいっぱい前向きな態度。これだけ揃えば、大物になること間違いなしだ。ボーレンゲの小さな町を歩く姿を見るだけで、まぎれもなくバンドであるのが分かる。映画『ハード・デイズ・ナイト』のビートルズそのままなのだ。



メンバーは18歳から20歳と若いが、すでにソング・ライターとしてもミュージシャンとしても充分に経験を積んでいる。バンドの息もぴったり合い、ブレイクも時間の問題だ。それにシュガープラム・フェアリーは、カリスマ性あふれるフロントマンとその脇を固める実力派ミュージシャンという、定番ポップ・バンドの組み合わせ。おかげで早くも、コンサートでコーラスを一緒に歌ってくれるほどのファンもついている。

「優れたポップ音楽は、トレンドやサブカルチャー、ねらったファン層を超えて聴き継がれるものなんだ。僕たちは自分たちのプレイに100%自信を持ってステージに上がる。それがすごくいい形で観客に伝わっていくんだよ」とヴィクター。

シュガープラム・フェアリーは自分たちのロックのルーツがどこにあるかよく自覚しているが、だからといって、そういう有名な先輩たちにへつらうことはない。それどころか、大好きだからこそ、わざと無礼な態度をとったりするのだ。自分たちの音楽はビートルズとローリングストーンズを足した感じだねと、あっけらかんと言ってのける。

「ボーレンゲなんかに住んでると、通しか知らないようなバンドを聴いて好きになるなんて、まずあり得ない。だけど、トップクラスじゃないバンドを理想にして、一体何の意味があるんだい? ただひとこと言うなら、ストーンズはもっと早くに引退してれば、さらに良かったんだけどね」とヴィクター。



バンドはノレン兄弟が7歳と9歳の頃、ごく自然に芽を出した。

「トリオを組んで、早いうちにドラマーをクビにしたんだ。だって、ビートルズはそうしたって読んでたからね。成功するには同じ道を歩まなくちゃと思ったんだ」とヴィクターはにっこりする。「そのうち、小学校でうまいドラマーなんてそういないってことが分かった。それで中学校に入ってから、クリルをドラマーに迎えてバンドを再開。夏休みの間、ずっとガレージにこもって、オアシスの『リヴ・フォーエヴァー』を毎日プレイしたんだけど、やっぱりレパートリーには自分たちのオリジナルも必要だって気づいたんだ」。

シュガープラム・フェアリーの大半の曲を書いているのは、今でもノレン兄弟である。



次のターニングポイントは1999年、ヨナスがバンドをライヴで観たときだった。

「信じられないくらいすごいバンドだったんで、何がなんでも加入したかった」とヨナス。バンドはそれまでにクールなヘアカットの加入希望者と何人か会っていたが、プレイの腕を上げる意欲を見せたのはヨナスだけだった。こうしてヨナスは、バンドのリードギタリストになる。最後の加入メンバーは、2003年春のデイヴィッド。「デイヴィッドはいつもバンドと一緒にいて、気も合うし、ベーシストとしても最高だ」。それで全員、彼をメンバーにしない理由はないと考えた。5人組はエネルギッシュに練習し、やれるギグはすべてやり、だんだんと地元で人気を集めるようになった。



シュガープラム・フェアリーは出身地への感謝の心も忘れない。ボーレンゲはバンドかサッカー以外に何もすることがないところ(メンバーがバンドの次に大好きなのもサッカー)だが、ボーレンゲが世界から見放された町だからこそ良かったんだと言う。

「トレンディなことをやる必要がない。なにしろ、外国の音楽は何年も遅れてやっとボーレンゲに届くんだ」とクリル。「1994年のオアシスのデビューアルバムがボーレンゲに届いたのは1997年だぜ。僕たちは逆に、この町から世界に挑むんだ。ここでビッグになれれば、僕たちの世界征服を阻むものは何もないのさ」



デモが功を奏して、ストックホルムのプロデューサー、ロナルド・ブード(最近では大ヒットした『The Plan』などのプロデューサーとして有名)がシュガープラム・フェアリーに目を留めた。一度は「若すぎるから2、3年してまたおいで」と言ったものの、ブードは、このバンドはすでに必要な要素をすべて持っていると見抜いたのだ。

「彼は僕たちの曲を変えることはしかなった。付け加えたり、バンドとしてのサウンドを確立する手助けをしてくれたりしたんだ。自分たちでやったら、もっと時間がかかってたと思う。それでも、やっぱり僕たちのサウンドだよ!」

どこにいようと何をしようと、基本的に音楽(とサッカー)がバンドメンバーにとって生きるすべてなのだ。

彼らのサウンドとソングライティングは、60年代のポップ全盛時代をベースとしているが、わざとらしいレトロっぽさはまったくない。ファンはおもにティーンであり、子供時代を懐かしがる中年はいない。

「僕たちは単に新しいもの、これまで聴いたこともないようなものを作ろうなんて思ったことはないんだ。いま批評家に絶賛されているアーティストだって、20年後にも現役なのは、ほとんどいないさ」とクリル。「ロックをどこかに大事に保管しておけるなんて思うのは間違ってるよ。音楽というのは、いま生きてるものなんだ」とヴィクター。「僕たちは80年代生まれで、40年代生まれじゃない。それだけで、“新しい”と感じるには充分なんだ」と言ってしばらく口をつぐむ…。

「新しいことをやろうと努力する必要さえないよ。だって僕たちは“新しい”んだから!」