サム・クック
ブラック・ミュージック界にとどまらず、広くポピュラー音楽の世界にまで影響を与えた不世出のシンガー、サム・クックは1931年1月2日にミシシッピー州クラークスデールにて、父チャールズ・クックと母アン・メイの4番目の子供として生まれた。父親がサウスサイド・バプティスト教会の牧師をしていたこともあって、小さい頃から聖歌隊に入り、9歳の時には兄弟でシンギング・チルドレンというゴスペル・グループを結成して歌っていた。高校在学中に名門ゴスペル・グループのソウル・スターラーズのR.B.ロビンスに認められ、50年にグループの当時リード・シンガーだったR.H.ハリスの後任として参加、本格的なキャリアをスタートさせた。その後6年に渡ってスターラーズと活動し、高い評価を得る。57年からソロ活動を始め、その年の秋にリリースした「ユー・センド・ミー」が大ヒット、以降も「彼女はやっと16才」「ワンダフル・ワールド」など立て続けにチャートに送り込んだ。60年にはRCAと契約、その後も多くの名演・名唱を残し、ゴスペル出身のソウル・ミュージック開拓者として、後のシンガー達に多大な影響を与えた。64年12月11日、ロサンジェルスのモーテルで女性とトラブルを起し、モーテルの女主人に銃殺されるという悲劇的な最期を遂げてしまうが、その詳細はいまだ謎に包まれている。享年33歳であった。