カラシ
【カラシ誕生】

1996年アイスランドのレイキャビクの小さなガラージにて結成。同年本国アイスランドでリリースしたシングルはチャートのトップに駆け上り、その一年後の1997年リリースのデビュー作『QUARASHI(日本未発売)』はゴールド・アルバムに輝く。その後2年間はツアー活動に明け暮れた。このツアーでは当時人気絶頂のバンドのサポート・アクトの依頼を次々と受けることになり、フージーズやプロディジー等のオープニングも勤めた。そして1999年には本国でのセカンド『Xeneizes(日本未発売)』をリリース。前作同様にこのアルバムでもゴールド・ディスク認定を受ける。



【全米デビュー、そしてホッシー脱退】

カラシ全米デビューとなる記念すべきアルバム『JINX』は2002年の春に米ソニー(US/Columbia)からリリースされ、全米初登場104位に輝いた。このアルバムからは「Stick'em Up」と「Mr. Jinx」という二曲のヒットが生まれる。Warped Tourでアメリカを横断。この頃には、噂を聞きつけたB-リアル(サイプレス・ヒル)がLAの楽屋に顔を出すほどのBUZZを巻き起こしていた。同年8月にはSmmersonic2002にて来日、日本ライヴ・デビューを果たした。彼らは初日のオープニング(東京)での登場だったが、例年をはるかに越えるオープニング集客となり、入場までに1時間半以上かかる・・・という事態を引き起こす。その後オーストラリア経由でヨーロッパを回るツアーを行う。同年冬に予定されていた東名阪をまわる初のジャパン・ツアーのチケットは即日完売。ところが、“ザック・デ・ラ・ロッチャ的”ラップで名をはせたバンドの中心ラッパー、ホッシー(Hossi)が「学業復帰→ジャーナリストの道へ」ということでいきなり脱退。後釜を探す必要にさまられたバンドはソールド・アウト・ジャパン・ツアーをキャンセルしファンを泣かせる。(Hossiは「アイスランド語を一から学びなおす」とアイスランド大学へ入学。その後ジャーナリストになった。)



【カラシ第二章:タイニー参加】

ホッシーの穴を埋めるためアイスランドで数回のオーディションが行われ、素晴らしい逸材が発見された。当時19歳、“エミネムばりラップ”を披露したタイニー(Tiny)だった。彼の参加は“ビースティーズ的”とも“レイジ的とも”言われるカラシのロック的側面よりも、ややもすると単調になってしまいそうだったHIP/HOPサイドを圧倒的に厚く充実させることになる。天性のスキルに、人を惹きつけるこれまた天性の魅力を持ったこの“恐るべき少年ラッパー”がカラシ第二章を開くことになったのだ。2004年2月、タイニー擁する新生カラシはソニックマニアで来日を果たし日本のファンへ彼の披露を行ったが、そのあまりに可愛カッコいいビジュアルとは対照的な、物怖じしない堂々としたパフォーマンスで度肝を抜くト同時に絶賛を浴びた。(コレ以降女性ファンも急増)

2005年、バンドとして格段にスケール・アップし、さら新しいアイデアに満ちた自信作『ゲリラ・ディスコ』が遂に登場する!