ピチカート・ファイヴ
主演:野宮真貴(vo)、脚本・監督:小西康陽(b&vo&key)による一大ポップ絵巻「ピチカート・ファイヴ」。84年に小西を中心とする4人で結成され、細野晴臣プロデュースによる12インチ・シングル「オードリィ・ヘップバーン・コンプレックス」でデビューを果たす。その後、88年から90年までオリジナル・ラヴの田島貴男(vo)が在籍し、91年のアルバム『女性上位時代』から野宮が加入。90年代に日本の音楽シーンを席捲した「渋谷系」の最重要ユニットとして注目を集め、同時に精力的なワールド・ツアーの実績により、海外からも高い評価を得る。ピチカート・ファイヴのオリジナル・メンバーは小西康陽(Bas,Key,Vo)、高浪敬太郎(Gui,Key,Vo)、鴨宮諒(Key)、佐々木麻美子(Vo)の4人でした。この後、彼らはソニーと契約し、初アルバム「カップルズ」(1987年)を発表。このアルバムは、後のソフト・ロック・ブームの火付け役ともなりました。

 しかし、この時点で佐々木と鴨宮が脱退。すでに、オリジナル・ラブとしての活動を始めていた田島貴男が二つのバンドを掛け持ちすることになります。

 「ベリッシマ!」(1988年)は、田島のヴォーカルを中心として、70年代のフィーリー・ソウル、それにマーヴィン・ゲイを復活させたアルバムで、以前とは全く違うスタイルへと変化していました。ロックの世界には、ほとんどなかった男の色気を前面に押し出す音楽になっていたと言えるでしょう。この後すぐ、田島貴男はオリジナル・ラブでこの路線を大ブレイクさせるのですが、ピチカート・ファイヴは「女王陛下のピチカート・ファイヴ」(1989年)、「月面軟着陸」(1990年)を発表後、ソニー・ミユージックから移籍する。