マルティン・シュタットフェルト
”ゴールドベルク“で鮮烈なるデビューを飾った天才ピアニスト。
透明で、グルーヴするバッハ。
1980年10月19日ドイツのコブレンツに生まれる。6歳でピアノを始め、9歳で初のリサイタル(イタリア協奏曲を演奏)をひらいた。14歳のときフランクフルト・ミュージックホッホシューレ(音楽アカデミー)に入学を許可されこの年齢で入学を許可された初の生徒となった。ここで伝説的なレフ・オボーリン(=第1回ショパン・コンクールの優勝者)の弟子レフ・ナトチェニーLev Natochennyに師事。また、ボザール・トリオのメヘナム・プレッスラーをはじめ 、ウラディミール・フェルツマン、ヴィタリー・マルグリス,イーゴリ・ラズコ、 ペーター・アイヒャーらのマスタークラスを受け、さらにはカレ・ランダル、トマス・ブランディス(ベルリン・フィルの第1コンサートマスターだった),イダ・ビーラー(メロス弦楽四重奏団の第2ヴァイオリン奏者) の3人による室内楽プロジェクトに参加し、そのピアニズムに磨きをかけた。

1997年、パリでおこなわれたニコライ・ルビンシテイン・ピアノ・コンクールで優勝。
同年ベルリンでのドイツ音楽コンクールの5人の奨学金受賞者の1人に選ばれた。
2001年にはボーゲンで行われたブゾーニ国際ピアノ・コンクールで入賞を果たし、センセーションをまきおこした。各紙がその才能を絶賛し、南ドイツ新聞は「大規模なコンクールにはおとなしい、隠れた才能の持ち主を見つけられるという良い面もある。それは、グローバル化の進む音楽ビジネスの向こう側に、名人芸という誰にもわかりやすい表現よりも個性的な表現の方が大切だと感じている聴き手のために、そして自分自身のために、ニッチ=市場の隙間を見つけた人たちである」と付け加えた。
そしてシュタットフェルトは、2002年7月ライプツィヒで開かれた第13回国際ヨハン・セバスティアン・バッハ・コンクール*に最年少で優勝した。長い伝統を誇る権威あるこのコンクールで東西ドイツ統一後優勝した初のドイツ人ピアニストとなったのである。(* 第1回目が1950年、第2回目の1964年から4年に1度、1996年から2年に1度開催されている。アファナシェフもこのコンクールの優勝者である)

これまでに彼はフランクフルト・アルテオーパー、デュッセルドルフのトーンハレ、ボンのベートーヴェンハウスなどドイツ国内の一流ホールをはじめ、ジュネーヴ、ベルン、サンクトペテルブルグ、ヴィリニュス(リトアニア)、ポジターノ(イタリア)、バーゼル(スイス)、ロンドン、ニューヨークで演奏し、ラインラント・プファルツ州立フィルハーモニー、SWR(南西ドイツ放送協会)放送管弦楽団、デュッセルドルフ交響楽団と共演している。2004年にはラトヴィア国立管弦楽団と共演した。今後のコンサートでは、ルツェルン祝祭弦楽合奏団、ライン・フィルハーモニー管弦楽団、ハイデルベルク交響楽団、ヴュルテンベルク室内管弦楽団との共演が予定されている。


シュタットフェルトはバッハの音楽に大いなる情熱を注いでいる。しかし彼のレパートリーはバロックから現代作品までと幅広い。協奏曲のレパートリーは ベートーヴェンの協奏曲全曲、ロマン派の作品やガーシュウィンの「ラプソディ・イン・ブルー」といった伝統的なクラシック作品のカテゴリーにあてはまらないものも含む。ソリストとして、また室内楽、歌曲の伴奏にも意欲的に取り組んでいる。                                              
 デビューCDの「ゴールドベルク変奏曲」は2004年3月ドイツでリリースされるやいなやメディアの注目を集め、短期間にドイツのクラシック・チャートで1位になり大ヒットを記録している。
   趣味は読書とドライヴ。国内の演奏会にはほとんど自分で運転して移動するという。
そして、ワイングラスを傾ける静かな夕暮れ時が好きだというマルティン・シュタットフェルトはいよいよ2006年3月9日、日本へやってくる・・。

初来日後ウィーンでもデビューをかざった。

2006年夏は ヴェルビエ音楽祭で、今井信子、ヒラリー・ハーン、Sイッサーリスと室内楽を演奏。そのあと
2006年8月6日、モーツァルト生誕250年記念の年に デビュー・シリーズに登場。モーツァルテウムで
リサイタル・デビューを飾った。