コザック前田と泉谷しげる
「コザック前田と泉谷しげる」が誕生するまで



元来、前田は泉谷氏を好きなミュージシャンと公言しており(オフィシャルHP参照)、更にはシングル「卒業」のカップリングで泉谷氏の「里帰り」をカバーしており、その熱は並々ならぬものがあった。その最中、2003年3月に前田から「自分のルーツであるフォークを是非泉谷さんとやってみたい」という申し出があり、4月に泉谷氏のスタッフに打診をした所、カバーの流れもあり快諾。このまま順調に進むかに見えた。。。



しかし、その時期はガガガSPが全国ツアーに出ており、時を同じくし泉谷氏もドラマの撮影に突入。

最初の対面は3ヶ月以上経過した、7月23日。そして前田は夏のイベントへ、泉谷氏は再びドラマの撮影へ。

2度目の打ち合わせは更に1ヶ月以上経過した、9月10日。ここまで正に亀の歩みの如くであったが、初めてお互いのデモを披露。そしてそれぞれ2曲ずつRECすることが決定、楽曲やラフアレンジ案もほぼ固まる。



9月29・30日 レコーディングリハ。

いきなり泉谷氏から提案されていたアレンジが却下され、全く新しいアレンジに。

前田からは「以前の曲をやめてこっちにしたい」と急遽楽曲変更に。

しかし2人の中で手探りだったユニットが、この辺りからしっかり手応えのあるものへと変わり始めていた。



そして10月3・4・16・23日でレコーディング。

バックにはサンボマスターと藤沼伸一氏(元アナーキー)が参加。

最後まで未定だったユニット名は、10月24日のマスタリング後に「コザック前田と泉谷しげる」と命名。





:: PROFILE



コザック前田   1979年9月30日 神戸生まれ

ガガガSP唄い手。ガガガSPは97年12月に地元神戸にて結成される。元々はコザック前田ともう一人のフォークな弾き語りユニットだったが、ふとハードコアがしたくなりバンド形態にする。しかしハードコアにも飽き、自分のルーツであるフォークをパンクというフィルターに通し、全く新しい形のパンクを誕生させる。その間、数々のメンバーチェンジを経て、今に至る。2000年12月「京子ちゃん」で衝撃的なデビューを果たし、驚異的なスピードでパンクキッズ達の心を掴む。

シングル「卒業」「国道二号線」「晩秋」と立て続けにヒットを飛ばし、遂に2003年1月19日に地元神戸市長田区の南駒栄公園にて“震災復興完了”を掲げた大々的なフリーライブを敢行。1万人を超える観客を集め、一躍話題となった。



泉谷しげる   1948年5月11日 青森生まれ

71年のデビュー(「泉谷しげる登場」)以来、30年以上に渡り吠え続けるリアル・フォーク・アーティスト、泉谷しげる。人間の業の深さ、ならびに人生の儚さ、そしてほんの少しのささやかな幸せについて歌う。言葉一つ一つを吐き出すかのようなヴォーカル、ぶっきらぼうな振る舞い、まるでエレキ・ギターのごとく激しくラウドにかき鳴らされるアコースティック・ギター……というスタイルは強烈にして無比。直接的なフォロワーをまったくもって生み出さなかったことが、如実にそれを物語っている。

加藤和彦プロデュースによる代表作『春夏秋冬』(72年)。サディスティック・ミカ・バンドが全面バック・アップし、結果ロック色の濃い仕上がりとなった『光と影』(73年)。パンク・ムーヴメントの雰囲気が色濃い『80のバラッド』(78年)。忌野清志郎、桑田佳祐ら強力サポートを迎えた『吠えるバラッド』(88年)。数多くの名盤を世に残している。また、俳優としての評価も高い。

その他、1993年に北海道・奥尻島救済キャンペーン「一人でフォーク・ゲリラ」と称して、東京23区内で路上チャリティーライブを展開。集まった募金はもとより、その年に発売した「なぜ、こんな時代に」の印税も全額、奥尻島に寄付する。その後も普賢岳噴火災害、阪神淡路大震災と全国規模でチャリティライブを展開し、被災者への義損金を寄付する。