ラリー・カールトン
1948年3月2日、カリフォルニア州トーランス生まれ。

6歳のころからギターを始め、B.B.キングやウェス・モンゴメリー、ジョン・コルトレーンらの影響を受け、14歳のころまでスリム・エドワーズに師事。

LAハーバー・カレッジ(’66-’68年)とロングビーチ州立大学('68-'70年)で音楽を専攻。在学中に南カリフォルニア・ビック・バンド・コンテストで最優秀ソロイスト賞を受賞し、学生時代からプロとしてのキャリアを積みはじめる。

 ‘68年、初ソロ作「ウィズ・リトル・ヘルプ・フロム・マイ・フレンズ」をリリース。

 '72年にザ・クルセイダーズに参加。アルバム『クルセイダーズ』を録音する一方、自身の『シンギング&プレイング』も発表。クルセイダーズには『旋風に舞う』までの8作品に参加して評価を決定づけたが、その活動と併行して、セッション・ギタリストとしても活躍を続けていた。マイケル・フランクス、スティーリー・ダンなどをはじめとするAOR系のアルバムの中から、ラリー・カールトンの名を知ったファンも多い。

 '77年にクルセイダーズを脱退し、本格的ソロ活動をスタート。翌’78年には名作『夜の彷徨(サマヨイ)』(「ルーム335」収録)を、続く『スリープウォーク』とともにヒットを飛ばし、'81年には『ヒル・ストリート・ブルース』(TV映画のサントラ)で初のグラミーを、'87年には『アローン・バッド・ネバー・アローン』で単独名義のグラミーを受賞した。

 ‘88年、暴漢に銃撃され瀕死の重傷を負ったが、翌'89年にはアルバム『オン・ソリッド・グラウンド』で奇跡の復活!その後も『キッド・グローブス』『レネゲイド・ジェントルマン』などの自己名義作品のほか、リー・リトナーとの『ラリー・アンド・リー』などを相次いで発表した。



 ‘98年からフォープレイに加わり、現在に至るまでレコーディングやツアーに活躍。

また、'98年と’01年にはスティーヴ・ルカサー(TOTO)とのスペシャル・プロジェクトでワールド・ツアーを敢行。'99年には、'98年11月に大阪ブルーノートでおこなわれたライヴを収録したアルバム『ノー・サブスティテューションズ』を'リリース(グラミー賞受賞!)、ハリウッドのロック・ウォークにハンドプリントを刻む“ウォーク・オブ・フェイム”に選出されるなど、スター・ミュージシャンの地位を揺るぎないものにした。

 最新作は、2003年リリースの「サファイア・ブルー」。10年ぶりのブルース・プロジェクトで、ギターとブラスが大きくフィーチャーされた抜けの良いグルーヴィーな心地よいサウンドで、新たなファンを獲得した。

 

『ブルースは当然好きだけど、ブルースならなんでもいいわけではない。結局音楽がかもしだす‘魂’を感じることができるか、ということ。僕はいろんな人たちに自分の‘魂’を感じて欲しいから、どんどん冒険するんだよ・・・。』

ラリー・カールトン、57歳。

枯れることを知らない彼のアグレッシヴな冒険心は、まだまだ進化中だ。