ラミア
ケニヤ生まれ、イギリスのシェフィールドで育ったシンガー、ラミア。彼女はデビュー・アルバムで楽曲作りからプロデュースまですべてをこなし驚くべき才能を示した。ソウルⅡソウルの「A New Decade and Vol. V」で良く知られているオペラのレッスンを受けたこのゴージャスな声の持ち主は、デイヴィッド・ボウイやジェイムズ・ブラウンなど過去25間で最も偉大なレコードのいくつかに参加し、最近の仕事ではアンジェリカ・キジョ、シェブ・マミなどの作品にも参加。そしていよいよ、今度は彼女自身の番だ。



 このデビュー作は見渡す限りのポップ・ミュージック・シーンのなかで特異であり、無類といって良い。ゆったりとしたヒップ・ホップやダンス・ビート、甘美なギターやシタール、盛大な東洋のパーカッションなどと複雑に絡み合い、独自の世界を形作っている。そして最大の魅力であり、彼女の最大の武器とも言える5オクターブを歌い上げるその声は、文学的な愛の物語、反抗、アイデンティティの探求を表現するソウルフルな“楽器”であり、それはあたかも高く飛び立ちながら螺旋を描いている。



ここに収められている楽曲は、彼女がこれまでに書いた詩、曲から選りすぐられたものだ。プロデュースには、マドンナやそのビヨークとのコラボレーションで名を馳せるネリー・フーパーらが参加。そのユニークな三次元世界の立体的な景観を持つ奥行きと深みのあるサウンドは、ラミア独自の詩世界を彩り、ビョークやケイト・ブッシュなど独自の世界をもつ大物アーティストを髣髴とさせる。そして歴史に残る作品達と同じく、ここには新鮮な驚きとやすらぎと感動に満ちている。



ラミアはケニアで生を受けた後、イギリスの学校へ送られ、その後エジプトへ渡り、マドンナのインタビューを見た後逃げだすようにNYにわたった。「マテリアル・ガール」そのまま、彼女自身のダンステリアを見つけにマンハッタンに足を踏み入れたのだ。だが問題がひとつあった。それらの“ダンステリア”は当時すでに存在しなかったのだ。

「NYへ行ってスタジオ54を探そうとしたけど」

 彼女は言う。

「みんなに言われたわ。あのクラブはもうないよ、って。それから、君はどこからきたの?と訊かれたから、オマーンって言った。そうしたら、え?オマハ?だって。オマーンよって強く言い返したわ」

 笑いながら続ける。

「その後生活しながらふと考えたの。私はここに何をやり遂げるために来たんだろう、って。それで私はすべてのクラブをまわってDJブースへ行き、ハーイ、私歌えるの、って言った。NYに歌手は山ほどいるなんてこと知らずにね」

 

「いろんな国に住んだ経験から、言葉などわからなくても伝えたいことは伝わるということがわかったの」



「何を言おうとしているのかが本当にわかっているなら、コミュニケーションは取れる。絶対に伝わるものよ。世界共通のことや感情ってあるでしょう?もし、私が最後の一遍をスワヒリ語で歌ったとしても、人々は理解できると思うの。だって言葉のなかの感情を聴くことができるはずですもの。」

 

ラミアはエキゾチックな美しさとうっとりするような瞳を持っている。そのなかに魅惑的なミステリーが宿っている。そのルックスはすでにジャン・バプティスト・モンディーノ(ビョーク、プリンスの伝説的なアートワークや、最近ではマドンナのフォトやビデオを制作している)の心を捕らえた。楽曲「エンパイア」を耳にした後、ラミアはモンディーノの次のイコンとなったのだ。

「彼女はオート・クチュールだ」とは、モンディーノの言葉である。



OPEN YOUR EYES AND SHE WILL OEPN YOUR EYES.

耳を澄ませるのだ、心の眼をひらくために。



# ジャン・バプティスト・モンディーノとは…マドンナやビヨーク、ネナ・チェリー、ヴァネッサ・パラディのヴィデオ・クリップの監督をつとめるなど、音楽界にもその名を轟かせたフォトグラファーであり、映像クリエイター。ジャン・ポール・ゴルチエの友人でもあり、ジャン・ポール・ゴルチエの香水のCFディレクターも務めるなど、ファッション界、音楽界を問わず、様々な世界のアーティスト達から絶大な信頼とリスペクトを受けているクリエイターである。