1948年1月7日ワシントン州エバレット生まれ。



小学校の頃に、カリフォルニア州サンタバーバラに移り、現在もこの土地を愛し、ここに住んでいる。



13歳の頃からギターを弾き始め、ハイスクール時代には自分自身のフォーク・グループを結成。



1969年に作曲家としての音楽出版契約をABC/ウィンゲイト出版社と結ぶ。その頃書いた曲が、"プー横町の家"でニッティ・グリッティ・ダート・バンドに取り上げられ、大ヒット。ソング・ライターとして世の中の注目を浴び始める。



1970年CBSとソロ・アーティストとして契約。



バッファロー・スプリングフィールド、ポコと渡り歩き、CBSとプロデューサーの契約をしたジム・メッシーナを紹介され、ファースト・アルバム『シッティン・イン』を制作。ジムはプロデューサーにとどまらず全面参加し、ここにロギンス&メッシーナが誕生した。



1972年に発表されたこのアルバムはキャッシュボックス誌で最優秀新人デュオとして受賞。70年代のアメリカに於ける最高のデュオと言われた。



彼らは77年の『フィナーレ』までの6年間に9枚のアルアムを発表。イーグルス、ドゥービー・ブラザーズと共々ウェスト・コースト全盛時代を気付いた。



ケニーは作家としても大ヒット曲を連発。アン・マレーが歌った『ダニーズ・ソング』や『ラヴ・ソング』('75グラミー賞)ドゥービーのマイケル・マクドナルドとの共作では『ホワット・ア・フール・ビリーブス』(グラミー賞)など枚挙にいとまがない。



そして、いよいよ77年ソロアルバム『未来への誓い』発表。フィル・ラーモン&ボブ・ジェームスをプロデューサーに迎えソロ・キャリアをスタートさせる。全米でゴールド・ディスクを獲得。



2ndソロ『ナイト・ウォッチ』('78年)では全米NO.1ソングとなった『二人の誓い』(Whenever I call you a friend)で、スティーヴィー・ニックスとのデュエットを聴かせてくれた。



3rdソロ『キープ・ザ・ファイヤー』ではプロデューサーをボム・ジェームスからトム・ダウドにかえ、よりR&R、R&B色を強めていく。レコーディング・ミュージシャン等の話題(M・ジャクソン、M・マクドナルドetc.)に加えて、ハードなライブ活動も開始。ロックン・ローラーとしての動的な面もみせてくれた。



そして80年にはライブ・アルバム『アライブ』を発表。3年の間隔を経て4thソロ『ハイ・アドヴェンチャー』を発表。ここでは当時NO.1のアメリカン・バンド、ジャーニーのスティーヴ・ペリーとのデュエット『サンライズ・パーティ』が大ヒットする。ここで曲作りのコンピを組んだ作詞家のディーン・ピッチフォードから『フット・ルース』の制作を依頼され、いよいよ新しいケニーの才能が爆発する。



84年『フット・ルース』は全米NO.1。『アイム・フリー』はTop15入り。



翌年には5thのオリジナル『ヒューマン・ボイス』を発表。息つく間もなく記憶が新しい、『トップ・ガン』から『デンジャー・ゾーン』の大ヒット生まれる。



スタローンの感動熱血映画『オーバー・ザ・トップ』では素晴らしきラブ・バラード『心の夜明け』が生まれる。世界中で大ヒット。



そして1988年『BACK TO AVALON』と発表以来3年振りのアルバム『LEAP OF FAITH』を引っ提げて3月に来日した。