ジョー・ストラマー&ザ・メスカレロス
現地イギリス時間、2002年12月23日早朝、
ジョー・ストラマーのオフィシャル・ウェブサイトとスポークスマンによって、彼の死は発表された。
死因は心不全。


ジョー・ストラマーは言わずと知れた、70年代にセックス・ピストルズと人気を二分していたUKパンク・ロックの御代”ザ・クラッシュ”の元ヴォーカリスト。
86年のバンド解散後、約10年の時を経てメスカレロスというバンドを率いて活動を再開、99年よりランシドのティムの熱烈ラヴコールにより、彼が主宰するヘルキャット・レーベルに活動の拠点を置いてきた。
(ランシドのアルバム『インデストラクティブル』のタイトル曲”Indestructible”では、「素晴らしいジョー・ストラマーの曲を聴き続ける/なぜなら音楽を通じて貴方は永遠に生き続けるから」と彼に捧げられている)


その精力的な活動は、我々日本人にも記憶が新しく、02年9月~10月にかけて福岡/東京ライヴ&朝霧ジャムの為にメスカレロスとして3度目の来日を果たした。
その後の11月15日、ロンドンAction Town Hallでの元クラッシュ、ミック・ジョーンズとのベネフィット・ライヴを含むワールド・ツアー終了後、当初03年5月に予定されていた3rdアルバム『ストリートコア』のレコーディングに突入する傍ら、U2のボノ、元ユーリズミックスのデイヴ・スチュワートらとアフリカのエイズ撲滅運動にも積極的に参加し、翌03年には”ネルソン・マンデラSOS”と名づけられたチャリティ・コンサート出演も予定されていた中の訃報だった。


そのニュースはイギリスにおける殆どの新聞の一面を飾り、
TIMES誌は彼の死去を悼んだ記事を、
TVニュースでは長い追悼報道を、
更には12月26日に行われたプレミアリーグ”ニューカッスルvsリヴァプール戦”では、キックオフ前に52,000人の観客により1分間の黙祷が捧げられた。


1952年8月21日 − 2002年12月22日。
享年50歳。
ジョー・ストラマーはその偉大なる歴史にピリオドを打った。
そして翌03年、ザ・クラッシュは”ロックの殿堂入り”を果たした。


<文:松山晋也>
ジョニー・ロットン(ジョン・ライドン)と並ぶパンクのアイコンだったジョー・ストラマー(2002年死去)。
直情的パンクをひたすらガナリたてるクラッシュ時代初期のイメージが強烈ではあるが、
しかし彼は元々ロックステディやスカなどのカリブ海音楽、あるいは故郷スコットランドの民謡など、
エスニックな音楽に幅広く接してきた柔軟で貪欲な音楽ファンだった。
そうした彼のグローバルな視点や嗜好を生かしたハイブリッド・サウンドを展開するのが、このメスカレロスだ。
ラテンやアフリカンなど様々なビートやモードが折衷される中、クラッシュ以来一貫している弱者への目線と
ヒューマニズムが随所に脈打つ。最期まで心優しきパンク野郎だった。