ジェーン・モンハイト
<ジェーン・モンハイト プロフィール>







26歳にして、ジェーン・モンハイトは既にジャズ界における最高の歌姫の一人として自分の立場を確立している。


1998年、20歳にして栄誉あるセロニアス・モンク・コンペティションで入賞したことで注目を集め、2000年に華々しくデビューを飾った彼女は、その美貌と、表情豊かなしっとりした歌声を活かした正統派ジャズ・スタイルでたちまち人気を集め、今やジャズ・シーンを代表するシンガーの一人となっている。


祖母と叔母がプロのシンガーという音楽的に恵まれた環境で育った彼女は10代の頃からジャズの魅力に取り付かれ、高校在学中から地元のジャズクラブで歌っていたという。

「一番影響を受けたのはエラ・フィッツジェラルド。ダントツだわ」と語る彼女だが、それ以外にもサラ・ヴォーン、カーメン・マクレエなどといったジャズ・シンガー、そしてジョニ・ミッチェル、テイク・シックス、そしてニューヨーク・ヴォイセズなどといったコンテンポラリー・シンガーたちもよく聴いていたという。


17歳の時にジェーンはニューヨークに移り住み、名高いマンハッタン・スクール・オブ・ミュージックに入学する。彼女を指導してくれたのはニューヨーク・ヴォイセズの創立メンバーでもあったピーター・エルドリッジだった。エルドリッジの指導の下、ジェーンは着実に実力を伸ばしていく。そんな彼女に訪れた最大の転機は、最上級生になった年にエルドリッジの勧めによって参加したセロニアス・モンク・コンペティションだった。


ここで準優勝に輝いた彼女は(優勝はベテランのテリ・ソーントン)一躍注目を集め、N-Coded Musicとのレコーディング契約を手にすることになる。


1999年に学校を卒業すると同時に、ジェーンはファースト・アルバムのレコーディングの準備に取り掛かった。ジェーンの歌をたった1曲聴いただけでたちまちその才能に惚れ込んだ辣腕プロデューサーのジョエル・ドーンがプロデュースを引き受けることになり、2000年にジェーンのデビュー・アルバムとなる『マイ・フーリッシュ・ハート(Never Never Land)』が発売された。ロン・カーター、ケニー・バロン、ルイス・ナッシュというベテランのサイドメンを従えたジェーンは、百戦錬磨の彼ら相手に一歩も引かず、このアルバムでその類稀なる才能を存分に発揮した。その年齢からは想像もつかないほどの表現力と正統派の美声はたちまち人気を集め、ジェーンはダイアナ・クラールと並んで新世紀を代表する女性ジャズ・シンガーの地位に上り詰めたのだった。


翌2001年には『カム・ドリーム・ウィズ・ミー』、そして2003年にはブラジル・タッチを取り入れるなど、より幅広い表現に挑んだ『イン・ザ・サン』をリリース、アルバムごとにステップアップした姿を見せ、世界中のジャズ・ファンを虜にしている。