ジェームス・ブラウン
06年12月25日、ジェームス・ブラウンが、アトランタの病院で死去した。73歳だった。肺炎を患い、24日夜から入院していたが、ショウビズ界でのように復活することはなかった。 JBは、1953年にプロデビュー。観客をとりこにするライヴで人気を博し、50年代後半から60年代初頭にかけてソウルの第一人者となった。60年代に最初のピークを迎え、60年代末には、雑誌で「米国で最も重要な黒人」に選ばれた。70年代に入っても「スーパー・バッド」「セックス・マシーン」などのヒット曲を連発した。80年代前半に多少の低迷を味わうものの、85年には映画「ロッキー4」の挿入歌「リヴィング・イン・アメリカ」をヒットさせ復活を印象付けた。

BMGでの音源は、そのヒットを含む『グラヴィティ』、87年にテレビのライヴ・ショウを音源化した『ソウル・セッションズ』、88年にフル・フォースのサポートを得た『アイム・リアル』を発表。その後、妻に対して発砲して、6年の実刑判決を受け、90年に仮出所、91年に『ラヴ オーヴァー・デュー』、92年には71年のパリでライヴを、93年には『ユニヴァーサル・ジェームス』をリリースしている。