ジニュワイン
 本名エルジン・ランプキン。1975年10月15日ワシントンDC生まれ。83年のモータウン25周年記念テレビ番組『Motown Yesterday, Today, Tomorow』に登場したマイケル・ジャクソンのパフォーマンス(“Billy Jean”でムーンウォークを披露)に感銘を受け、エンタテイナーを志すようになった彼は、12歳頃から地元で結成されたフィネス・ファイヴやフィジカル・ワンダーといったグループで歌い始める。その一方で、シンガーとしての道が閉ざされた際に備えてコミュニティ大学で法律関係を学んだ。
 90年代に、ジョデシィのディヴァンテ・スウィングが中心となるクルー=スウィング・モブに加わった彼は、ティンバランドやミッシー・エリオットらと運命的な出会いを果たす。1996年にティンバランド制作による“Pony”(R&Bチャート首位獲得。邦題「(僕の)わんぱくポニー」)でデビューすると、フューチャリスティックR&Bと呼ばれるティンバランドの斬新なサウンドとともに、それをエロティックに乗りこなすジェニュワインは大きく注目を集めるようになる。同年にファースト・アルバム『Ginuwine ...The Bachelor』をリリース。ティンバランドやミッシー・エリオット、プレイヤ、マグーといったファミリーが全面的にバックアップしたこのアルバムは、ダブル・プラチナ・ディスクに輝き、ヒップホップ・ソウルから次のフェイズへと移りゆくシーンの記念碑的な作品となった。
 1999年発表のセカンド・アルバム『100% Ginuwine』もティンバランド・ファミリーが続投し、再びダブル・プラチナ・ディスクに。“So Anxious”“None Or Ur Friends Business”の2曲のスロウがヒットし、シンガーとしての実力をアピールすることに成功。もっとも、順調なキャリアを築く一方、プライヴェートでは試練のときを迎えてもいた。1999年、癌を患う彼の母の病状を悲観した父が自殺し、翌2000年には母も他界。立て続けに訪れた家族の死を乗り越え、また、新たなパートナー、ソレイとの愛を育む中で制作されたサード・アルバム『The Life』(2001年発表/プラチナ・ディスク認定)は、ティンバランドの参加曲が一曲に留まるなど制作体制の変動に伴うサウンド面の変化に加えて、セックス・アピールを全面に押し出した前2作のイメージを一新。ひとりの女性と向き合う実直な愛が描かれた温かい作品集となった。エグゼクティヴ・プロデューサーとして自ら指揮を執ったこのアルバムからは、“Differences”が2度目のR&Bチャート制覇(通算4週)を達成している。
 同年夏には、同じティンバランド・ファミリーの一員として長きにわたって支え合ってきたアリーヤが飛行機事故により急逝。またもや悲しみに暮れるジニュワインだったが、奇しくもこの時期を境にティンバランド・ファミリー外との繋がりが盛んになり、P・ディディの“I Need A Girl Part 2”(ルーンやマリオ・ワイナンズとの共演作)などのヒットも生まれている。2003年の4作目『The Senior』は、ブライアン・マイケル・コックスやR・ケリー、スコット・ストーチらを起用し、さらに幅広い世界を表現。「キミのジーンズの中に入り込める隙間はある?」と口説く“In Those Jeans”がR&Bチャート3位/ポップ・チャート8位に輝いた。
 2005年には5枚目のアルバム『Back II Da Basics』を、翌2006年には初のベスト『Greatest Hits』をリリースする一方で、タイリースとタンクとともにスーパーR&Bヴォーカル・トリオのTGTを結成。2007年には、一部に彼の音源を無断で使用したニセモノの新作アルバム『I Apologize』がリリースされるなど、デビューから10年以上を経てもなお依然として注目度は高い。ライヴ・パフォーマンスにも定評ある彼は、歌の実力のみならず、エンタテイナーとしても群を抜く存在として確固たるステイタスを確立するアーティストだ。