エディ・ヘンダーソン
1940年10月26日、ニューヨーク生まれ。母親はコットン・クラブのダンサー、父親はビル・ウィリアムスのコーラス隊。母親が以前ビリー・ホリデイやサラ・ヴォーンのルームメイトだったこともあり、一家はルイ・アームストロング、デューク・エリントン、カウント・ベイシー等と親しくしていた。9歳で音楽家を志し、トランペットを習い始める(この年に実父と死別)。14歳の時に家族とともにサンフランシスコに移り、サンフランシスコ・コンサヴァトリー・オブ・ミュージックに通うものの、継父が医博だったため医学の道に進み、サンフランシスコ大学、カリフォルニア大学、ワシントンのハワード大学等で精神病理学を修め、68年博士課程を修了、サンフランシスコの病院でインターン生活に入る。一方この間、54~57年にかけてはサンフランシスコ交響楽団の主席トランペット奏者エドワード・ハウグに師事してクラシック奏法を学んだが、58年にマイルス・デイビスの演奏に接してジャズに開眼、以後医学の勉強と平行してジャズの研究にもいそしむ。サンフランシスコではジョン・ハンディ、ワシントンDCではタイロン・ワシントンらと演奏するようになり、インターン生活に入って以後は博士号を持つ異色のジャズメンとしてサンフランシスコのジャズ界で注目を集める存在となった。70年9月、同地を訪れたハービー・ハンコックに誘われて共演したのを機に同セクステットの正式メンバーとなり、グループが解散する73年まで在籍。この間自己のデビュー作を吹き込む。以後はアート・ブレイキー、マイク・ノック、ノーマン・コナーズらと共演。70年後期にはロック色の濃い自己のセプテットを率い、代表曲<Prance>は77年のポップ・チャートにもランク・インした。その後ニューヨークに居を移してからはケニー・バロン、ゲーリー・バーツ、ビリー・ハーパーらと共演し、94年頃からはストレイト・アヘッドな演奏スタイルに重きを置くようになっている。