ドリス・デイ

 

ドリス・デイの歌うシングルで、トップ40にランク・インした歌は55曲、そのうちNO.1ソングが5曲でミリオンセラーが5曲という実績に加え、映画には39本出演しそのほとんどが主演作と、アメリカ・エンターテインメント界で輝かしきキャリアを誇っています。

 

歌手としてのドリスは、主に「センチメンタル・ジャーニー」「ラヴ・サムバデイ」「シークレット・ラヴ」「ケ・セラ・セラ」等のヒット曲で知られ、そのスタイルは歌詞に敬意をはらい言葉や音節のニュアンスづけに磨きをかけ極めて繊細で丁寧に歌うというもの。

 

そして歌のキーワードは“ロマンティック”。彼女ほどロマンティックな歌をロマンティックに歌う歌手はいません。

 

一方、出演した映画の大半はミュージカルだが、ロック・ハドソンやケイリー・グラントと共演した都会的なロマンティック・コメディーやヒッチコック映画『知りすぎていた男』の良妻賢母役も好評を得、女優としての評価も高い。

 

ドリス・デイは1922年4月3日にオハイオ州シンシナティで生まれました。本名はドリス・メアリー・アン・カペルホフ。両親はともにドイツ系二世で、ドリスが幼いときに両親が離婚したため母親のアルマに育てられます。

 

ハリウッド進出を目指していた十代の頃、自動車事故にあい、療養中にラジオで聴いたエラ・フィッツジェラルドの歌に魅せられ歌手の道を決意。歌詞の大切さとひとりの人に語りかけるように歌うことに重きをおいてレッスンを重ねました。

 

ラジオ番組がきっかけで、バーニー・ラップ楽団のオーディションを受け専属歌手となります。

 

楽団のトロンボーン奏者アル・ジョーダンと結婚するものの離婚し、故郷のラジオで歌っているところを偶然聞いたレス・ブラウンに呼び戻され、1945年に「センチメンタル・ジャーニー」の大ヒットでスターになりました。

 

1947年に独立してコロンビアとソロ契約を結び、以後は一貫してコロンビアでレコーディング。代表的なヒット曲は「ラヴ・サムバディ」(1948年/1位)、「イッツ・マジック」(1948年/2位)、「アゲイン」(1949年/2位)、「ア・ガイ・イズ・ア・ガイ」(1952年/1位)、

「シークレット・ラヴ」(1954年/1位)、「ケ・セラ・セラ」(1956年/2位)など。LP時代に入ると、アルバムへと重心を移し、『デイ・バイ・デイ』(1956年)をはじめ『デイ・バイ・ナイト』(1957年)、『カッティン・ケイパーズ』(1958年)、『デュエット』(1961年)、『ラテン・フォー・ラヴァーズ』(1964年)など傑作を残しています。

 

一方、1948年に『洋上のロマンス』でスクリーン・デビューを果たし、これが好評で『情熱の狂想曲』(1950年)、『二人でお茶を』(1950年)など多くのミュージカル映画に出演。特に『カラミティ・ジェーン』(1953年)と『情欲の悪魔』(1955年)は代表作として知られています。

 

ロック・ハドソンと組んだ都会派のコメディー映画は『夜を楽しく』に続いて『恋人よ帰れ』(1961年)と『花は贈らないで!』(1964年)が作られた。シリアスな演技の代表作はヒッチコック映画『知りすぎていた男』(1956年)。

 

『カラミティ・ジェーン』の「シークレット・ラヴ」と『知りすぎていた男』の「ケ・セラ・セラ」はアカデミー主題歌賞を受賞しています。

 

1968年からTV番組『ザ・ドリス・デイ・ショウ』に出演し、高視聴率的を記録し健在ぶりをアピール。また、かねてより動物保護に関心が高く1978年にドリス・デイ動物愛護財団を設立して活動に専念していていました。2004年には米民間人最高の栄誉である自由勲章を授与されています。

 

2011年9月(国内盤は2011年2月)、87歳の時に新作『マイ・ハート』を発表。この17年ぶりのスタジオ・アルバムは、亡き息子であるテリーとの幻の共演を含む、極上のポップ・アルバムとして大きな話題を呼んびました。残念な事に遺作となってしまった作品ですが、エヴァーグリンの輝きを放つ若く瑞々しい歌の数々が並んだ名盤です。